富山県内の「松井」の名字の詳細 | |
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■ 県内16位: 松井(まつい): 富山県の松井家
# 中国地方から関東地方にかけて多く、特に富山県、群馬県、滋賀県、奈良県に多い。
# 富山県の松井家: 富山城下の豪商で布目屋を号す。美濃国稲葉山城主の斎藤家の家老の氏家卜全の三男の行継の末裔と言われる。行継は関ヶ原の戦いで西軍につき、越中の一族を頼って落ち延びた。その後、松井と改称し十村役を務めた。
・ 富山城下(富山市)で布目屋を号した豪商。美濃国の稲葉山城主の斎藤家の家老の氏家卜全の三男の行継の末裔という。行継は関ヶ原の合戦では西軍に属して敗れ、越中国の一族を頼って新川郡陀羅尼村(富山市)に転じたという。松井と改称して前田家のもとで十村役として活躍。富山藩の分藩後には富山藩の十村役となった。その後、富山城下中野新町で薬種商を開業、代々伊兵衛を称して富山藩を代表する薬種商の一つとなった。【出典】
# 富山県の松井家: 礪波郡井波(富山県南砺市)の宮大工。松井建設の創業家。1586年に初代松井角右衛門が前田利長の命で、越中守山城(富山県高岡市)の普請に従事したのが始まり。以後、代々井波を拠点にして寺社建築を営んだ。1913年に15代の角平の時に東京に進出、1934年に関東大震災の被害を受けた本願寺築地別院の復興工事が竣工し注目を集めた。【出典】
# 富山県の松井家: 滑川市の豪商で小泉屋を号した。
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