茨城県内の「徳川」の名字の詳細 | |
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■ 徳川(とくがわ): 茨城県の徳川家
# 茨城県の徳川家: 水戸黄門(中納言)でお馴染みの水戸家。尾張藩主と紀州藩主は大納言だったが水戸藩主は中納言で定府大名。勤王精神が受け継がれていた。【家紋:水戸六つ葵】明治維新後には公爵。
・ 水戸藩主。御三家の一つ。徳川家康の十一男の頼房が祖。1609年に頼房が兄の頼宣のいた水戸25万石に入封。1622年に28万石、1701年に35万石となった。二代藩主の光圀は「水戸黄門」として講談やテレビドラマでも有名。幕末、九代藩主の斉昭(烈公)は急転する政治の表舞台で活躍、七男の慶喜は将軍家を継いで徳川家最後の将軍となった。また、十八男の昭武は1867年に将軍慶喜の名代としてパリ万博に参加し、明治維新後兄の慶篤の没後水戸家を継いだ。明治時代には侯爵。【出典】
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