「保科」の名字の由来
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■ 保科(ほしな)

【2021/02/27:改編】

# 1239位

# 清和源氏頼季流、桓武平氏などにみられる。

# 山形県:205位、長野県:235位、新潟県:354位、宮城県:498位、島根県:573位など。【全国分布

# 主なルーツ地

・ 信濃国高井郡保科(長野県長野市若穂町)をルーツとする。

# 信濃国高遠藩に預けられた、徳川秀忠の四男(庶子)の正之は、保科正之を名乗り、後の会津松平家の祖となった。

# 千葉県の保科家: 上総国飯野藩(2万石)の保科家は信濃の保科家の一族だが、徳川秀忠の子の正之が保科家の養子となり跡を継いだので、別家をたてた。  

・ 上総飯野藩(千葉県富津市)藩主。信濃国高井郡保科(長野県長野市若穂保科)の国衆末裔で、諏訪氏の一族か。武田氏の滅亡後、正直は徳川家康に仕えた。正直の養子の正之は二代将軍秀忠の庶子で、山形20万石を経て、1643年に会津23万石に転封、会津松平家となった。保科氏の家督は、正直の三男の正貞が継ぎ、1648年に上総飯野藩1万7000石を立藩した。明治時代には子爵。【出典

# 長野県の保科家: 信濃国高井郡保科(長野県長野市)をルーツとし、諏訪氏の一族という。室町時代に村上氏に敗れ、高遠に逃れ、のちに武田家に仕え、武田家が滅亡後には徳川家に仕えた。高遠から出羽国山形20万石を経て、会津藩主。【出典】 

# 保科正之

# 飯野藩

# 「松平家」を称した家

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