武田家 | |
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■ 武田家(たけだけ): 「武田」の名字の由来
# 代表家紋
・ 武田信玄の次男の海野信親の子孫は江戸時代には旗本(高家)。【日本史再検証 名家の「その後」 監修:森岡浩 別冊宝島】
・ 甲斐の武田家が滅亡後、それらの遺臣は井伊家や保科家に召し抱えられた。
・ 勝頼が岩櫃城ではなく岩殿城に行ったのは浅間山が噴火したから、とも言われている。噴火した日に織田勢が信濃国に入った。浅間山の噴火はかなり大きく、安土城からも確認されたという。歴史にモシはないというが、もし浅間山が噴火しなかったら武田勝頼は岩櫃城に行ったかもしれないし、そうすれば武田家の運命もまた別のものになっていたかも。もし浅間山ではなく富士山が噴火していたら?
・ 武田氏の後裔: 「逸見」「加賀美」「安田」。「穴山」「浦」「大井」「栗原」「下条」「布施」「山縣 (やまがた)」【名字の謎学 博学こだわり倶楽部編 KAWADE夢文庫】
・ 清和源氏義光流。新羅三郎義光の子の義清が常陸国(茨城県)那珂郡武田郷に住んで武田冠者と称したが、その子の清光は逸見冠者と称したので、武田家の初代は清光の子の信義が武田太郎と称したのを祖とする。源頼朝の挙兵に応じ、富士川の合戦の功で駿河国の守護となった。その後、甲斐国の守護を務め、安芸国や若狭国の守護も務めた。後に戦国大名の武田信玄をだしたが、子の勝頼の時代に滅亡した。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】
・ 上総国望陀郡真里谷(千葉県木更津市真里谷)を本拠地とした。
・ 清和源氏の義光流。甲斐国の守護の武田信重の弟の信長が古河公方の成氏に従い、上総国を拠点としたことを祖とする。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】