井伊家
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■ 井伊家(いいけ): 「井伊」の名字の由来

# 井伊直弼 ・ 井伊直孝 

# 井伊家の家紋

【井伊家の雑学】

# 平成29年のNHKの大河ドラマは柴咲コウ主演の「おんな城主 直虎」。これは、まさに井伊家の発祥の地の井伊谷を舞台とした物語である。

# 井伊直虎(次郎法師)は徳川四天王の一人の井伊直政の養母。直政は許嫁の遺児。

# 江戸時代以降、女性が表立って活躍することはなかったが、それ以前の女性達は自由闊達で、このように甲冑を着て戦場へも出た。神功皇后なんかは典型なのかなぁ?

# 戊辰戦争で、近藤勇を捕まえたのは井伊家だったのかぁ。

# 井伊家では武田の遺臣をおおく召し抱えたと言うが、その次に多いのが上野国人で、そして遠江国人らしい。

# 桶狭間の戦いにおける今川方の戦死者は2500〜3000人。武将だけで500人という。
・ その中に、井伊直盛、松井宗信(遠江二俣城主)、飯尾乗連(遠江引馬城主)、蒲原氏徳(駿河蒲原城主)、由比正信(駿河川入城主)、由比光教(駿河由比城主)、久野元宗(駿河久野城主)、三浦義就(駿河)、二宮宗是(駿河)、庵原元政(駿河庵原城主)などの名が見える。
・ 井伊家からは約200名が出兵したが、武将16名を含めて、ほとんど戦死した。戦死者には、小野、奥山、田中、上野、多久郷、気賀、御厨、市村、牧野、袴田などの名が見える。

# 直虎が地頭となってまもなく、今川氏真が井伊谷とその周辺に徳政令を出そうとした。しかし、直虎はその阻止に動いた。だが、家老の小野但馬守は徳政令の推進派として動いた。
・ そして、今川家の意向として、直虎の領主権が剥奪され、小野但馬守が支配することとなった。

# 井伊谷三人衆

・ 鈴木重時: 子孫は水戸藩士

・ 菅沼忠久: 子孫は旗本

・ 近藤康用: 江戸時代には井伊谷の領主として交代寄合

# 井伊直政は松下家の養子となった。

・ 松下氏は三河国壁海郡松下郷(愛知県豊田市)または遠江国松下(静岡県菊川市)をルーツとするといわれる。

・ 松下清景は井伊直親の未亡人(井伊直政の生母)と再婚し、直政を養子とした。

・ 松下家の一族には、若い日の豊臣秀吉が仕えていた。

・ 松下清景の子孫は越後与板藩(与板井伊氏)の家老を務めた。

・ 松下清景の弟の安綱の子孫は旗本として火付盗賊改方を務めた。

# 徳川家康が召し抱えた武田軍団の二十四将の一人の山県昌景の家臣を井伊家の家臣団に加えた。「井伊の赤備え」。

・ 井伊直政の娘は、家康の四男で徳川秀忠の同腹の忠吉の正室となった。

# 井伊直弼が部屋住みの「埋木舎(うもれぎや)」時代には約1000石の重臣と同程度の生活をしていたという。

# 徳川家康の正室の築山殿は「井伊家譜」には、井伊直平の娘と書かれている。ただ、定説としては今川義元の姪で関口義弘の娘。関口義弘の妻が今川義元の妹なんで姪になるのか。
しかし、「井伊家譜」には関口義弘の妻は井伊直平の娘とある。今川義元へ側室として送られ、その後義元の妹として関口義弘に下げ渡されたという。

■ 井伊家

・ 井伊家は遠江国引佐郡井伊谷を11世紀から治めていた国人領主。

・ 「寛政譜」によれば、井伊家の先祖は藤原良門の子の藤原兵衛佐利世。良門は藤原北家で摂政だった藤原良房の弟で、勧修寺家や上杉家の祖。

・ 利世の子孫の備中守共資が正暦年間に遠江国敷智郡村櫛に転じ、遠江国引佐郡井伊谷にある八幡宮の井戸で発見された男児を養子とした。

・ 1575年に、浜松で鷹狩りをしていた家康は、15歳の虎松を召し抱えた。虎松(後の井伊直政)が井伊家の遺児であることを知って、井伊万千代と名乗らせ、井伊谷を治めさせた。

・ 家康は武田旧臣を徳川家臣団に組み込む際に、直政に117人の与力をつけた。

・ 家康の関東入国後、直政は上野国箕輪12万石。関ヶ原の合戦後には近江国佐和山18万石。その後、彦根に築城。

【出典: 徳川家臣団の謎  菊地浩之 角川選書】

■ 井伊家

・ 井伊直岳(通称): 先代の長女と結婚し、井伊家の当主。いわゆる婿養子だが、井伊家の習わしとして、名前に「直」の字をいれるとあり、通称として「直岳」と称しているようだ。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】

■ 井伊家(近江国の彦根藩

・ 譜代大名の井伊家の初代の直政は天正3年(1575年)に、浜松城下で鷹狩りをしていた家康の目にとまり小姓として召し抱えられた。家康の関東入国後、上野国箕輪12万石を与えられ、関ヶ原の戦いの功で近江国の佐和山18万石を与えられた。直政の次男の直孝は徳川秀忠家光、家綱の三代にわたり大老を務めた。幕末に大老を務めた十五代の直弼は有名。十六代の直憲は10万石の減封のうえ京都守護職を罷免された。鳥羽伏見の戦いから新政府軍に参加し、明治維新後には伯爵。【譜代大名126家「勝ち組」の出世競争 榎本秋 晋遊舎新書】

■ 井伊家(越後国与板藩

・ 彦根藩の井伊家の分家。宗家の初代の直政の嫡男の直勝が病気がちだったため彦根藩の跡継ぎを弟の直孝に譲った。直勝は元和元年に家康から3万石を与えられ、上野国安中藩を興した。二代の直好は三河国西尾藩遠江国掛川藩と転じた。四代の直朝は「失心」がもとで改易されたが、五代直矩が越後国の与板藩2万石を与えられ再興した。明治維新後には子爵。【譜代大名126家「勝ち組」の出世競争 榎本秋 晋遊舎新書】

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