武田家の家紋
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■ 武田家: 「武田」の名字の由来   

# 代表家紋: 武田菱紋

・ 武田信玄: 割り菱紋。【出典

・ 武田信玄: 武田菱紋。武田菱紋は源頼義から三男の源義光に与えられ、それが伝えられたものと言われる。

・ 武田信玄: 「梶紋」も使ったが、「梶紋」は諏訪神社の神紋。【見て楽しい読んで学べる家紋のすべて PHP研究所】

・ 武田鉄矢: 武田菱紋。【道産子のルーツ事典 岸本良信 中西出版】

・ 源姓: 「菱紋」「桐紋」「巴紋」【道産子のルーツ事典 岸本良信 中西出版】

# 武田信玄(たけだしんげん): 武田菱紋。武田信玄は、将軍の足利義明をはじめ、朝倉氏浅井氏などとも連携をとって、信長を牽制させて西上作戦を行った。三方ヶ原の戦いの後に、信玄はその麓で年を越し兵力を温存。そして東三河の野田城を一ヶ月かけて攻略したが、病のために進軍を停止した。信玄の病状が回復しないため、武田軍は甲斐国への撤退を決定したが、その道中に伊那郡駒場で病死した。【出典

# 武田【出典

・ 茨城県ひたちなか市武田/清和源氏義光流: 「武田菱紋」「丸に割り菱紋」「花菱紋」「丸に花菱紋」「丸に剣花菱紋」「丸に四つ目菱紋」「松皮菱紋」「丸に五三桐紋」「丸に五七桐紋」「丸に笹竜胆紋」「丸に剣片喰紋

※ 源義光の子の義清が武田冠者を称した。清光の時代に常陸国から甲斐国に配流され、以後甲斐国を本拠とし、安芸国、若狭国、上総国にも分かれて繁栄した。 

# 武田家【出典

・ 武田菱紋(四つ割菱紋)、花菱紋(はなびしもん): 河内源氏の棟梁である源頼義の三男の源義光が甲斐国に土着して甲斐源氏と言われた。本流である武田家は甲斐国の守護を継承し、第十九代の武田信玄のときに信濃国や駿河国などを支配して栄えた。家紋の「四つ割菱紋(よつわりびしもん)」は、武田家に代々伝わる家紋で、先祖伝来の家宝の楯無鎧(たてなしのよろい)にもこの紋が入っている。武田家では、この割菱を花文様に変化させた「花菱紋(はなびしもん)」も替紋として使用している。

# 武田氏: 花菱紋。甲斐国の武田家で大膳大夫賢信とある。このころは武田菱紋ではなく花菱紋を使用した。【出典

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