「栗」の地名
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「栗」のつく名字 「クリ」の語源
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■ 栗(くり): 兵庫県神崎郡神河町栗。地名の由来は不詳であるが、古老は往古度重なる洪水のために地名を西木村と変えたことがあったと伝える。【出典

■ 栗木(くりき): 神奈川県川崎市麻生区栗木。地名の由来については、当地には九人百姓の伝承が残り、9人の力で田を耕した九力田が転訛したとする説や、栗の繁茂に適した刳(くり)の地形からきたとする説もある。【出典

■ 栗駒村(くりこまむら): 宮城県栗原市栗駒。明治から昭和にかけて宮城県栗原郡にみられた村名。明治22年に三迫(さんのはさま)川上流域の沼倉村・松倉村2か村が合併して成立。大字は旧村名を継承、2大字を編成。村役場を沼倉に置く。栗駒山の山頂まで含む山間の大村。地名の由来は栗駒山麓に位置するところからその山名にちなむ。昭和30年町村合併による栗駒町の成立に伴い、旧村域は現行の栗駒町沼倉・松倉となる。【出典
・ 栗駒(くりこま): 宮城県栗原郡栗駒町(現栗原市)。昭和30年(1955年)に合併時の新命名。山岳名に因む。栗原郡の駒ヶ岳のことか。駒ヶ岳の名は各地に見られる。コマは、カミ(上)・マ(接尾語)の転で、「山頂」のことか。【出典

■ 栗駒山(くりこまやま): 須川(すかわ)岳・酢川(すかわ)岳・大日岳・駒ケ岳ともいう。岩手県宮城県と秋田県の県境付近にある。山腹は磐井(いわい)川・成瀬川・役内(やくない)川・一ノ迫(いちのはざま)川・二ノ迫川・三ノ迫川などの輻射谷によって浸食され、裾野の発達は著しくない。山名は、宮城県栗原地方の農民が、毎年雪解けの頃、残雪の形が駒の形になるのを、種まきの目安にしたため、駒ケ岳と呼んだが、岩手県和賀郡にも駒ケ岳があるので、駒ケ岳に栗原郡名の栗の一字を冠して、栗駒と呼んだことに由来する。【出典
・ 栗駒山(くりこまやま): 岩手県一関市、宮城県栗駒市、秋田県雄勝郡東成瀬村にまたがる。昔は、駒ヶ岳、酢川岳などとも呼ばれた。宮城県の栗原地方から見て、雪解けの時期になると、残雪が駒(馬)の形にみえるので、駒ヶ岳と呼んでいたが、岩手県和賀地方に駒ヶ岳があるために、栗原郡の名前から「栗」をとって「栗駒」としたという。【出典

■ 栗須(くりす): 富山県富山市八尾町栗須。栗栖とも記す。地名の由来は、栗の多い土地柄から名付けられたという。【出典】【参考データ

■ 栗橋(くりはし): 埼玉県久喜市栗橋

■ 栗林(くりぱやし): 長野県中野市栗林。地名は、昔栗の木があったことにちなむという。【出典

■ 栗原(くりはら): 宮城県栗原市

■ 栗原(くりはら): 神奈川県座間市栗原。昭和初期までは「くりばら」とも称した。地名は、栗の木のある広野を開拓してできたことにちなむと推測されている。【出典

■ 栗原(くりはら): 奈良県高市郡明日香村栗原。奈良県明日香村の奥に栗原という地名があり、昔は呉原と書き、古代中国の「呉」からの渡来人が住み着いたところといわれた。彼らは織物に卓越して、布は呉服(ごふく、くらはとり)といって珍重された。呉を訓読みで「くれ」というのは、「日の暮れる西方の国の人」という意味。【知って楽しい「苗字」のウンチク 丹羽基二 PHP文庫】
・ 呉原: 大和期から見える地名。雄略朝に渡来した呉人が安置された地を「呉原」と称したと見える。。一方、呉国へ遣わされた身狭村主青と檜隈民使博徳らは、呉国の使者とともに手末(たなすえ)の才伎【てひと】、漢織・呉織および衣縫の兄媛・弟媛らを連れて帰国、呉人を「檜隈野」に安置して「呉原」と名付けたとも見える。【出典

■ 栗又四ケ(くりまたしか): 茨城県小美玉市栗又四ケ。霞ケ浦に突出した台地中央、園部川上流右岸に位置する。
・ 栗又四ケ村: 江戸時代から明治時代の中頃にかけて常陸国新治郡にみられたの村名。栗又村・四ケ村とも称した。

■ 栗虫(くりむし): 富山県黒部市宇奈月町栗虫。地名の由来は、栗虫屋吉右衛門が開墾したことにちなむ。【出典

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