「吉田」の地名
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「吉田」の名字の由来  
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■ 吉田(よしだ): 宮城県亘理郡亘理町吉田
・ 浜吉田駅(はまよしだえき): 宮城県亘理郡亘理町吉田字流(ながれ)。JR東日本・常磐線。吉田の集落よりも浜に近いところにあるという意味。浜の名前は、吉田浜という。吉田はよい田になるようにとつけられた美称地名。大正4年(1915年)に吉田駅から改称。【出典

■ 吉田(よしだ): 神奈川県横浜市戸塚区吉田町。

■ 吉田(よしだ): 富山県黒部市吉田。長元元年に、京都の吉田兼方の末孫法橋の次男である判官広重が、吉田右衛門と名乗り、この地に来て開拓したと伝えられ、村名とした。【出典

■ 吉田(よした): 石川県七尾市吉田町(よしたまち)。地名の由来は、古くから水田耕作が営まれ、良質米が収穫される意の「吉き田」によると推定される。【出典

■ 吉田(よしだ): 岐阜県飛騨市神岡町吉田。地名の由来は、かつて豪族吉田氏が代々居住したことによるという。【出典

■ 吉田(よしだ): 長野県中野市吉田。高梨氏一族の吉田氏の本拠地と言われる。
・ 吉田郷: 南北朝時代に信濃国高井郡にみられた郷名。明徳3年3月日の高梨朝高の言上状案に「高井郡吉田郷」と見え、延文2年高梨朝高の父の高梨永高が室町幕府から拝領したものという。【出典

■ 吉田荘: 広島県吉田町。平安時代末期から戦国時代にかけて安芸国高田郡にみられた郷名。地頭職毛利氏が有していた。吉田荘地頭職は、承久の乱後に宛行われたものと推察され、始祖季光父子は宝治合戦三浦氏に加担したため所領を没収されたが、越後佐橋荘に在国していた季光の三男経光は乱に加担せず、越後の所領と「あきの国よしたの庄」を安堵され、文永7年7月15日、これを子息時親に譲与している。永仁4年、地頭毛利氏と領家との間で下地中分が行われ、当荘南半の豊島・竹原両郷は領家方、北半の吉田・麻原両郷が地頭方となり、元徳2年3月5日、時親は、孫の親茂(親衡)に「吉田庄吉田・麻原両郷地頭職」を譲与している。

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