兵庫県内の「間島」の名字の詳細 | |
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■ 間島(まじま)
# 新潟県や香川県に多く見られるが、兵庫県内には少ない。【出典】
# 兵庫県内の間島氏は赤松氏の一族。宇野則景の子の景能が祖。赤松御一族衆十八家の一つ。景能は、1333年に大塔宮の令旨を受けた赤松則付に従って六波羅を攻め、のちに播磨国明石郡平野荘(神戸市西区)を領した。南北朝時代には摂津国の守護代もつとめた。嘉吉の乱では、坂本城に籠城して赤松氏とともに一旦滅んだが、1456年に南朝から神器奪還に功を成し、赤松氏のもとで加賀国の守護代を務めた。応仁の乱後、播磨国平野荘に戻った。羽柴秀吉の播磨侵攻の際に氏勝が従って福中城主となり、1583年には淡路岩屋城(淡路市)城主となった。しかし、豊臣秀次に連座し、関ヶ原の合戦では西軍に属して帰農した。【出典】
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