「稲」の家紋の解説
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■ 「稲」の家紋の解説: 「稲」の家紋図

# 稲紋(いねもん): イネは日本人にとって、最も重要な穀物で、日本の文化や生活様式にも大きな影響を与えた。古代、物部氏の一族が神武天皇に千束の稲を献上したことで、穂積(収穫した稲を乾燥させるために積むこと)の姓を賜った。穂積一族の鈴木氏は熊野神社の社家となり、熊野神社が全国に勧請(かんじょう)されるとともに、その氏子などにも使用された。また五穀の神である豊受明神が、キツネを使ってイネを配ったという逸話から、稲荷神社の神紋にも稲紋が多く使われている。【出典

# 稲紋は、熊野神社の神官鈴木家の家紋。稲紋は鈴木家、穂積家などで使用。

# 穂積氏の子孫が家紋とした。大名では、亀井氏(宇多源氏)の井桁の内二つ稲穂追い丸紋。他に、抱稲紋、稲丸紋、稲菱紋などがある。【日本人なら知っておきたい 家紋と名家のいわれ 大野敏明 実業之日本社】

# 稲紋: 稲は日本人が最も重視してきた植物。世界的に文様として使われることは稀で、日本独自に文様、紋章として使用された。熊野神社の神官で、天皇から穂積姓を賜った穂積一族の鈴木氏が稲紋の8割を使用しているとも言われる。【出典
・ 右廻り一つ稲の丸紋、右追い掛け稲菱紋、糸輪に立ち稲紋、一本稲紋、丸に抱き稲紋。

# 稲紋(いねもん): 稲は、烏(熊野神社の神使)、藤丸(熊野三山の初代別当の紋)、洲浜(熊野三山の奥院・玉置神社の神紋)とともに鈴木氏の代表家紋。古代、熊野の氏族の高倉下(たかくらじ)は稲穂を持って全国各地に出向いた。彼らはいわば田作りを教える開拓集団だった。彼らは、秋の収穫時になると、熊野権現の神前に稲穂を高く積み上げて神に捧げた。そこから、高倉下の子孫たちは穂積氏を称し、さらに榎本、宇井、鈴木の三氏が生まれた。鈴木家穂積家亀井家佐々木家稲富家稲生家大岡家米倉家池田家近藤家米野家中条家花房家岡林家小西家などに見られる。【出典

# 稲紋: 稲生りと同じ意味とされた稲荷神社の神紋として使用され、また和歌山県の熊野神社の神宮、鈴木氏の家紋であるところから、日本人に多い鈴木姓の代表紋とされる。【出典

家紋の図柄

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