豊臣家の家紋 | |
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■ 豊臣家: 「豊臣」の名字の由来
# 代表家紋: 五七桐紋
・ 豊臣秀吉: 五七桐紋(太閤桐)、十六葉菊紋など。秀吉は、若いときには沢瀉(おもだか)紋を使っていたとされ、これは妻のおねの実家の木下家のもの。長浜城主になった1573年に信長から五三桐紋を賜った。1586年に「豊臣」姓を下賜されたときに、後陽成天皇から「桐紋」と「菊紋」を賜ったという。
・ 豊臣秀吉: 五三桐紋(羽柴時代に織田信長から賜った)。正室は「ねね(高台院)」【武将と家紋 インデックス編集部】
# 豊臣家【出典】
・ 太閤桐のアレンジ: 豊臣秀吉の太閤桐にはとくに決まった形がなく、適当に意匠がアレンジされることが多かった。
・ 太閤桐紋(五七桐紋): 天皇から下賜された家紋。基本は通常の五七桐であるが、秀吉が使う五七桐はすべて太閤桐と呼ばれた。
・ 福島沢瀉(立ち沢瀉): 秀吉の親族には沢瀉を家紋とする家が多い。福島正則も秀吉の血縁者とわかる「福島沢瀉紋」を家紋にした。
・ 豊臣秀吉が木下藤吉郎を名乗っていた頃、家紋には妻のねねの実家である杉原家と同じ「立ち沢瀉紋」を使用していたという。庶民の出である秀吉には先祖からの家紋が無く、妻の実家の家紋を借りていた。甥の秀次や家臣の福島正則らは秀吉から受け継いだ「沢瀉」を使用した。
・ 秀吉は、天下人となり朝廷から豊臣姓を賜ったときに菊紋と桐紋を与えられた。秀吉の桐紋は「五七桐紋」だが、適当にアレンジして使用されることが多かった。また、秀吉が使用した「五七桐」は、みな「太閤桐」と呼ばれた。秀吉は一門や諸家に褒美として豊臣姓と桐紋を与えたため、これをきっかけに桐紋を使用する家が増えた。
【家紋の図柄】