高須藩
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■ 高須藩(岐阜県海津市)

・ 松平家3万石・家門

・ 尾張藩の支藩で尾張藩主を2度出し、また会津藩主の松平容保や桑名藩主の松平定敬などが出た。

・ 高須藩は尾張藩の支藩で、尾張藩の二代藩主の徳川光友の二男の義行を祖とする。美濃国の高須3万石。幕末の会津藩主の松平容保、桑名藩主の松平定敬、尾張藩主の徳川慶勝は、いずれも高須藩の第10代藩主の松平義建の子。【江戸300藩の意外な「その後」 日本博学倶楽部 PHP研究所】  

# 高須藩(たかすはん)
・ 高須ははじめ高木盛兼が1万石で領有、慶長5年関ケ原の戦で敗走し除封ののち、美濃高松城主徳永寿昌(ながまさ)(外様)が同戦の軍功で5万700石を与えられて入封。寿昌没後は、嫡男昌重(まさしげ)が襲封し3000石加増。寛永5年大坂城石垣普請助役の遅滞をとがめられ、所領収公、出羽新庄藩に預けとなり、一時廃藩、幕府領となったが、寛永17年下総関宿(せきやど)藩主小笠原貞信(譜代)が2万2700石余で入封。貞信は徳永氏改易後の高須城下の復興に努めたが、領内のたび重なる水害に悩み、元禄4年願い出て越前勝山へ転封、またも廃藩して再び幕府領となる。元禄13年、信濃高取から松平義行が入封。松平氏時代の当藩は尾張藩の支藩。歴代藩主のうち義建は、尾張藩主慶勝・会津藩主松平容保・桑名(くわな)藩主松平定敬の実父に当たる。【出典


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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