「まりや」の名字の由来
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■ 真里谷(まりや、まりやつ)

【2022/12/26:新載】

# 真里谷(まりや): 上総国戦国大名清和源氏の出。上総国の武田氏の信高の子の望侘郡真里谷城(千葉県木更津市真里谷)に拠って真里谷氏を称した。戦国時代、信保(如鑑)は小弓城主の原氏と対立して、1517年に古河公方の足利義明とともに小弓城を落としている。1533年には里見氏内訌で敗れた里見義豊が信保を頼って落ちてきた。1534年に信保が死去すると、子の信隆・信応の兄弟間で家督争いがおこり、足利義明が介入して信応が継いだ。しかし、これを機に里見氏が台頭し、1552年に信応・信政が里見義堯に敗れて自刃し、滅亡した。【出典

# 真里谷(まりやつ): 上総国戦国大名清和源氏の出。上総武田氏の信高の子の信興が望陀郡真里谷城(千葉県木更津市真里谷)に拠って真里谷氏を称した。戦国時代には、信保は小弓城主の原氏と対立、永正14年(1517年)に古河公方の足利義明とともに小弓城を落とした。天文2年(1533年)には里見氏内訌で敗れた里見義豊が信保を頼って落ちてきた。翌3年に信保が死去すると、子の信隆・信応の兄弟間で家督争いが生じ、足利義明が介入して信応が継いだ。しかし、これを機に里見氏が台頭、天文21年(1552年)に信応・信政が里見義堯に敗れて自刃し、滅亡した。【出典

# 「谷」のつく名字

■ 真理谷(まりや)

【2021/03/05:新載】

# 上総国君津郡真理谷(千葉県木更津市)をルーツとする。清和源氏の出。上総の武田氏の信高の子の信興が真理谷氏を称した。【出典】 

# 「谷」のつく名字

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