「多功」の名字の由来 | |
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■ 多功(たこう)
【2022/12/26:新載】
# 下野国の宇都宮氏の庶流。「多劫」とも書く。1248年に宇都宮頼綱の四男の宗朝が下野国河内郡多功(栃木県河内郡上三川町)を領して多功城を築いたのが祖。以後、代々宇都宮氏の重臣であった。1590年の豊臣秀吉の小田原攻めでは、宇都宮国綱の名代として多功綱継が小田原に従軍した。1597年に宇都宮氏の没落とともに衰退した。子孫は今治藩士。【出典】
# 下野国の宇都宮氏の庶流。「多劫」とも書く。宝治2年(1248年)に宇都宮頼綱の四男の宗朝が下野国河内郡多功(栃木県河内郡上三川町)を領して多功城を築いた。以後代々宇都宮氏の重臣を務めた。天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原攻めでは、宇都宮国綱の名代として多功綱継が小田原に参陣した。慶長2年(1597年)に宇都宮氏の没落とともに衰退した。子孫は今治藩士。【出典】
# 栃木県の多功家
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