「樽」の名字の由来
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■ 樽(たる)

【2021/03/02:改編】

# 各地に点在し、瀬戸内海沿岸に多い。【出典】  

# 東京都の樽家: 江戸の町年寄三河国刈谷城主の水野家の一族という。徳川家康の関東入国に従い、江戸の町支配を命じられた。【出典

・ 江戸の町年寄。刈谷城主の水野家の一族という。水野忠政の孫の三四郎康忠が徳川家康に仕えて、三方ヶ原合戦や、長篠の戦いで活躍して樽三四郎と名乗ったのが祖。1590年に家康の関東入国に際して江戸の町支配を命じられ、その子の藤左衛門忠元が町年寄になった。以後、代々樽屋藤左衛門を称して町年寄を世襲した他、東国三十三カ国の枡座も統括した。1790年に苗字帯刀を許された。【出典

# 江戸の町年寄三人の一人の樽氏。樽三四郎康忠の康は家康から賜った。元の名字は水野で、康忠がまだ弥吉と称していた頃の1572年、三方ケ原の合戦で武田信玄の家臣を12人を討ち取った。家康はこれをたたえて、首級の数に因み三四郎(3×4=12)と名乗れと命じた。ついで、長篠合戦で三四郎が献上した酒樽が、織田信長に進呈された。三四郎が武田家の家臣の松平金太夫を討ち取ったと聞いた信長は、「あの樽の三四郎の働きか」と褒めた。これを聞いた家康が、苗字を「樽」にしろと命じた。【百万都市 江戸の生活 北原進 角川ソフィア文庫】 

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