沖縄県の名字の特徴
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 各都道府県の名字Top
スポンサーリンク
スポンサーリンク

★ 沖縄県の県名の由来 ・ 沖縄県特有の名字 ・ 沖縄県の難読地名・珍地名 ・ 沖縄県の地名集 ・ 沖縄県の戦国史

★ 沖縄県の名字の特徴

# 宮城という名字は宮城に少なく沖縄に多い(^o^)

# 沖縄の名字の分布は内地とは全く別物。

# 比嘉(全国の約87%)、新垣、島袋(しまぶくろ)知念(ちねん)仲宗根(なかそね)も全国の85%以上は沖縄にいる。

# 江戸時代初頭に琉球王国を支配した島津家は、琉球人であることを明確にするため、「大和風の名字の禁止」を打ちだし、「前田」は「真栄田」、「船越」は「冨名腰」などに改姓させたので、いわゆる内地風の名字は少ない。

# 沖縄の名家と言えば、琉球王家の「尚」氏。他には「照屋

# 沖縄県の特徴的な名字: 金城(きんじょう、かねしろ)、平良(たいら)、比嘉(ひが)、新垣(あらがき、あらかき)、島袋(しまぶくろ)、知念(ちねん)、具志堅(ぐしけん)【出典

# 沖縄県には「仲」がついた名字が多い: 仲井、仲石、仲尾、仲川、仲座、仲里、仲皿、仲島、仲順(なかじゅん)、仲筋、仲底、仲田、仲崇、仲地、仲唐、仲泊、仲西、仲根、仲浜、仲原、仲程、仲真、仲間、仲舛、仲桝、仲松、仲道、仲嶺、仲村、仲元、仲本、仲盛、仲門、仲屋、仲山、仲吉、仲井真、仲井間、仲栄真、仲尾次、仲大底(なかおおぞこ)、仲大嶺、仲大盛、仲兼久(なかかねひさ)、仲宗根、仲波名、仲与志(なかよし)、仲村渠(なかんだかり)など。【出典

# 沖縄県の珍名: 恩納(おんな)、東江(あがりえ)、平安名(へんな)、大工廻(だいくじゃく)、喜屋武(きゃん)、真境名(まじきな)、仲村渠(なかんだかり)、南風本(はえもと)、東風平(こちんだ)、饒平名(よへな)【出典

【沖縄県らしい名字】

# 沖縄には「城」がつく名字が多い。琉球語では「ぐすく」と読むが今は「しろ」読みの名字が多い。「金城(きんじょう)」「大城(おおしろ)」「宮城(みやぎ)」。「志良堂

# 珍名と言えば、、、、、内地から見れば多くは珍名なのだが、あえて言えば「阿波根(あはごん)」「下門(しもじょう)」「平安名(へんな)」「平安山(へんざん)」などがある。

【沖縄県らしい名字2】

# 東江(あがりえ)阿波根(あわね)、入嵩西(いりたけにし)、丑番(うすばん)、海勢頭(うみせど)、宇茂佐(うもさ)、我奴古(がねこ)、我部(がぶ)、上運天(かみうんてん)、東風平(こちんだ)、下門(しもじょう)、大工廻(だくじゃく)、辺野喜(へのき)、平安名(へんな)。【出典

大和めきたる名字の禁止令】 沖縄では1624年に薩摩藩が「大和めきたる名字の禁止令」を出し、その結果、前田は真栄田、福原普久原、横田が与古田などに変えた。中村仲村に変えた? 

・ 沖縄県特有の名字集

■ 沖縄県の名字の特徴【出典

# 沖縄県の名字ランキングは、本土とは大きく異なる。

・ 上位40位以内のうち、本土でも多く見られるのは、5位:上原(うえはら)、25位:石川(いしかわ)、34位:松田(まつだ)、38位:中村(なかむら)、39位:山内(やまうち)の5つのみ。

・ 1位: 比嘉(ひが): 全国の約87%は沖縄県にみられる。

・ 島袋(しまぶくろ)、新垣(あらがき)、知念(ちねん)仲宗根(なかそね): 全国の85%以上は沖縄県にみられる。

・ 新垣: 新垣は「あらか(が)き」「しんがき」の二つの読みがあり、共に多い。

・ 玉城(たまき、たましろ): 玉城は「たましろ」「たまき」の二つの読みが共に多い。

・ 喜友名: 喜友名は「きゆな」「きゅうな」の二つの読みが共に多い。

・ 本土と共通する名字では、新田が「にった」「あらた」の二つの読みが共に多い。また、神田は「かんだ」よりも「かみた」が、奥平は「おくだいら」よりも「おくひら」、久田は「ひさだ」よりも「くだ」の方が多い。

# 地域による特徴

・ 県庁所在地の那覇市や隣の豊見城市はあまり特徴は無い。

・ 県南部では、糸満市の上原(うえはら)、玉城(たまき。たましろともいう)、伊敷(いしき)が多いほか、新垣は「あらかき」よりも「しんがき」の方が多い。南城市では城間や嶺井、八重瀬町では神谷(かみや)野原(のはら)が目立つ。

・ 本島中部では、沖縄市の島袋、仲宗根(なかそね)うるま市の伊波(いは)、山城(やましろ)、浦添市又吉(またよし)、棚原、宜野湾市の仲村(なかむら)、金武町の仲間(なかま)、北中城村の安里(あさと)恩納村当山(とうやま)などが特徴。

・ 本島北部では、全体的に岸本(きしもと)具志堅(ぐしけん)が多く、名護市の玉城(たまき)、本部町の上間、今帰仁村の上間、与那嶺(よなみね)、大宜見村の平良(たいら)、山城(やましろ)などが特徴。

・ 離島では、それぞれの島によって名字構成が大きく異なる。本島に近い慶良間諸島では、座間味村では宮平(みやひら)、中村(なかむら)、渡嘉敷村では新垣(あらがき)が多く、久米島では新垣や糸数(いとかず)が多い。

 宮古島では下地(しもじ)と砂川が多く、平良(たいら)、友利(ともり)与那覇(よなは)が特徴。多良間島では垣花が多い。

 石垣島周辺では、宮良(みやら)大浜(おおはま)が多く、石垣島では島名と同じ石垣(いしがき)与那国島では崎原が特徴。

 なお、南大東島では新垣、城間、北大東島では仲宗根(なかそね)が多い。

# 唐名と名字: 琉球王朝時代の沖縄は中国の影響を大きく受けた。中国は周辺各国との間で冊封という貿易を行っており、琉球王国もその一つだった。そのため、琉球政府の官僚たちは唐名(からな)という中国でも通用する「姓」を持っていた。「毛(もう)」「向(しょう)」「呉」などがそうで、琉球全体で450ほどあった。そして、この唐名とは別に地名に由来する名字があり、唐名と名字で一族を区別した。同姓の氏族は門中といわれる同族集団を形成した。一つの門中では、代々名前の1字に同じ漢字を使用したが、同じ名字でも門中によって通字は異なっている。例えば、習(しゅう)姓の具志堅家通字は「幸」、允(いん)姓の具志堅家の通字は「用」で、今でもこの通字が使われていることが多い。17世紀末に琉球政府は系図奉行を設置、門中の家譜の編集を開始した。内容は中国南部や朝鮮半島の族譜と似ており、日本の系譜類とはやや違っている。これらは第二次大戦で焼失したものも多いが、それでもかなりの数の家譜が残っているという。そして、現代でも家譜を書き続け、門中誌という一族誌の刊行も盛んである。

# 沖縄県特有の名字

・ 小禄(おろく): 琉球王家尚家の一族。尚真王の第一王子の浦添王子朝満は世子だったが、家を継ぐことができず、その子の朝喬は浦添え間切地頭となった。三世の朝賢の子は宗家を継いで尚寧王となり、朝賢は尚※王と言われた。尚※王の子の朝盛は具志頭間切総地頭職となって、以後代々世襲した。1774年に、尚※王の四男の宜野湾王子朝祥が家を継ぎ、その長男の朝恒は小禄間切(那覇市)の総地頭職となって小禄氏を称した。

・ 尚(しょう): 琉球王家の名字。琉球では12世紀から按司と呼ばれる首長が各地に出現し、グスク(城)を築いて地域支配を始めた。そして、1429年に尚巴志が初めて全琉球を統一した、尚王朝を開いた。以後、明治時代までの400年以上、尚王家は琉球を支配したが、1469年に第七代尚徳が死去すると、宮廷内でクーデターがおき、不満分子が王の世子を追放して、家臣の金丸という人物を王に擁立した。金丸は王につくと、尚氏の姓を継いで尚円と名乗った。そのため、現在は尚円以降は第二尚氏と呼んでいる。

・ 今帰仁(なきじん): 琉球王家の尚家の分家。尚育の三男の朝敷は分家して具志川王子を称し、のちに今帰仁間切(今帰仁村)に転じた。明治維新後には華族となって今帰仁家を称し、後に男爵

・ 与世山(よせやま): 1600年に中国の福建省から琉球を訪れた毛国※の末裔。1607年に、中国との交易などにあたっていた中国人の住む久米村が衰退したため、国※はこれを補うために琉球に帰化した。国※は明との貿易にあたる一方、学者としても知られ、琉球儒学の先駆者である「四先生」の一人に数えられる。与世山家は久米村毛姓一族の嫡流

・ 和宇慶(わうけ): 琉球の久米三六姓の一つの紅姓の本家。祖の紅英が中国から渡来し、琉球王朝の通事になった。以後、代々通事を務め、16世紀に泰熙の時に、中城間切和宇慶村(中頭郡中城村)の地頭職となった。

・ 伊江(いえ): 伊江島の総地頭。琉球王家の尚清王の七男の朝義が伊江島(沖縄県国頭郡伊江村)の総地頭職となったのが祖。以後、代々伊江島の総地頭職を務め、伊江氏を称した。江戸時代末期に尚※王の四男の朝直が伊江家を継いで、その長男の朝永は明治維新後には男爵

・ 喜屋武(きゃん): 琉球王朝尚家の庶流。尚真王の四男の朝福が喜屋武間切(沖縄県糸満市)の地頭職となり、喜屋武氏を称したのが祖である。現在は那覇市周辺に多く見られる。

・ 具志堅(ぐしけん): 本部間切具志堅村(沖縄県国頭郡本部町)に因む。17世紀から具志堅氏がいた。現在も本部町から名護市にかけてまとまってみられる。この他に、南城市の旧知念村にも多い。

・ 豊見城(とみぐすく): 首里系毛姓の本家。読谷山間切の山田按司の子という護佐丸が、中城城に拠って中城按司となったのが祖。1458年に勝連城主の阿摩和利按司に敗れて自害、幼児だった三男の盛親のみが脱出した。盛親は尚円王の時代に新たに取り立てられ、尚真王時代に豊見城間切(沖縄市豊見城市)の総地頭職となって、以後代々世襲した。

・ 辺土名(へんとな): 琉球王家の尚家の庶流。今帰仁王子朝典五世の朝芳の二男の朝智が大里間切与那原地頭職となったのが祖。後に玉城間切総地頭職に転じ、以後玉城親方を称した。朝薫は組踊の創始者として知られる。朝郁の時、辺土名親雲上となり、辺土名を名字とした。

・ 東新川(ありあらかわ)・東小橋川(ありこばしがわ): 琉球本島で「あがり」と読む東は、先島諸島では「あり」と読み、石垣島の東新川や東小橋川は、それぞれ「ありあらかわ」「ありこばしがわ」と読む。このほか、与那国島には東久部良(ありくぶら)、東崎原(ありさきはら)という名字もある。また、竹富島では「あい」とも言い、同島にある東門は「あいじょう」と読む。

・ 読谷山(よみたんざん): 琉球の尚王家の一族。尚敬王の二男の読谷山(ゆんたんざ)王子朝憲が祖。朝憲は摂政を務め、沖縄三六歌仙の一人にも選ばれている。以後、代々読谷山(中頭郡読谷村)按司を務めた。現在は「よみたんざん」と読む。


【順位は県内の順位】

■ 1位: 比嘉(ひが)

■ 2位: 金城

■ 3位: 大城

■ 4位: 宮城

■ 5位: 新垣(あらがき)

■ 6位: 玉城(たまき、たましろ): 沖縄県内の「玉城」の名字の詳細

■ 7位: 上原(うえはら)

■ 8位: 島袋(しまぶくろ)

■ 9位: 平良(たいら): 沖縄県内の「平良」の名字の詳細

■ 10位: 山城(やましろ)

■ 11位: 知念(ちねん)

■ 12位: 宮里(みやざと)

■ 13位: 仲宗根(なかそね)

■ 14位: 下地(しもじ)

■ 15位: 照屋(てるや)

■ 16位: 砂川

■ 17位: 仲村(なかむら): 沖縄県の仲村家

■ 18位: 城間

■ 19位: 新里(しんざと): 沖縄県の新里家

■ 20位: 新城


■ 伊江(いえ): 沖縄県内の「伊江」の名字の詳細

■ 泉(いずみ): 沖縄県内の「泉」の名字の詳細

■ 糸数(いとかず): 沖縄県内の「糸数」の名字の詳細

■ 上江州(うえず): 沖縄県の上江州家

■ 上地(うえち): 沖縄県の上地(うえち)家

■ 内間(うちま): 沖縄県の内間家: 尚王家の庶流

■ 大宜味(おおぎみ): 沖縄県内の「大宜見」の名字の詳細

■ 奥間(おくま): 沖縄県内の「奥間」の名字の詳細

■ 小禄(おろく): 沖縄県内の「小禄」の名字の詳細

■ 神村(かみむら): 沖縄県の神村(かみむら)家: 久米系。

■ 嘉陽(かよう): 沖縄県内の「嘉陽」の名字の詳細

■ 喜屋武(きゃん): 沖縄県内の「喜屋武」の名字の詳細

■ 具志川(ぐしかわ): 沖縄県の具志川家

■ 久護(くご): 沖縄県内の「久護」の名字の詳細

■ 崎間(さきま): 沖縄県内の「崎間」の名字の詳細

■ 尚(しょう): 沖縄県の尚家

■ 下茂(しも): 沖縄県の下茂家

■ 新盛(しんもり): 沖縄県の新森家: 西表島祖納の旧家。

■ 高良(たから): 沖縄県の高良家

■ 豊見城(とみぐすく): 沖縄県内の「豊見城」の名字の詳細

■ 名嘉山(なかやま): 沖縄県内の「名嘉山」の名字の詳細  

■ 永山(ながやま): 沖縄県の永山家

■ 今帰仁(なきじん): 沖縄県内の「今帰仁」の名字の詳細

■ 根路銘(ねじめ): 沖縄県の根路銘家: 根路銘村をルーツとする。【出典

■ 辺土名(へんとな): 沖縄県の辺土名家: 尚王家の庶流

■ 銘苅(めかる): 沖縄県内の「銘苅」の名字の詳細

■ 読谷山(ゆんたんざ): 沖縄県内の「読谷山」の名字の詳細

■ 義村(よしむら): 沖縄県内の「義村」の名字の詳細

■ 与世山(よせやま): 沖縄県内の「与世山」の名字の詳細

■ 与那国(よなぐに): 沖縄県の与那国家: 八重山郡竹富島の旧家。

■ 与那城(よなしろ): 沖縄県の与那城家: 尚王家の一族。

■ 与那覇(よなは): 沖縄県の与那覇家

■ 与那嶺(よなみね): 沖縄県内の「与那嶺」の名字の詳細

■ 和宇慶(わうけ): 沖縄県の和宇慶家


■ 沖縄県の地名をルーツとする名字

■ 沖縄地方の名字の特徴

■ 沖縄県の名字の読みの特徴

統計表示