広島県内の「平賀」の名字の詳細
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■ 平賀(ひらが)

# 平賀(ひらが): 安芸国国人藤原氏の出で、出羽国平鹿郡発祥という。鎌倉時代に御家人となり、出羽国の他に、安芸国、上総国、越中国、尾張国などに所領を持っていたが、鎌倉時代末期頃に安芸国高屋保(広島県東広島市)に下向して、御薗宇城に拠った。南北朝時代には北朝に属して新たに入野郷(東広島市河内町)を与えられ、室町時代には幕府の奉公衆になった。また、1403年に山名満氏が安芸国の守護として下向した際には、弘章は国人一揆を結成して抵抗した。1523年には弘保が頭崎城を築いた。戦国時代には大内氏に属していたが、1549年に隆宗が陣中で死去すると、小早川常平の子の隆保が平賀氏を継いだ。その後、大内氏が滅亡すると、隆保も大内氏の残党として毛利元就によって滅ぼされた。その後、隆宗の弟の広相が平賀氏を再興、揖斐は毛利氏の重臣となり、子の元相は1万8000石の所領を持った。江戸時代には長州藩士。【出典】  

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