「毛利」の名字の由来 | |
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■ 毛利(もうり)
【2021/02/26:改編】
# 608位
# 「体族」の名字。
# 代表家紋
# 西日本一帯にみられ、特に愛媛県や佐賀県に多くみられる。
# 愛媛県:157位、佐賀県:243位、福岡県:270位、福井県:276位、富山県:287位など。
# 毛利氏: 相模国愛甲郡毛利荘(神奈川県厚木市)をルーツとする。大江広元の四男の季光が父からこの地の地頭職を譲られて毛利氏を称した。季光は承久の乱では幕府軍に参加、三浦義村の娘婿となって1233年には評定衆になるなど鎌倉幕府内で重要な地位にあったが、1247年の宝治合戦では、三浦氏の縁戚であったことから一族をあげて三浦氏に与して敗れ毛利荘を没収された。しかし、季光の四男の経光は越後国刈羽郡佐橋荘(新潟県柏崎市)に赴いていたことから、合戦には参加せず、同荘と安芸国高田郡吉田荘(広島県安芸高田市吉田)の地頭職は安堵され、本拠地を佐橋荘に移した。さらに、経光の四男の時親は安芸国吉田荘を継いで、安芸国へ転じた。これが安芸毛利氏の興りである。
鎌倉時代以降、安芸毛利氏は郡山城を本拠にして国衆としての地位を固めていった。そして、この間に次々と分家を出して、家臣に組み込んでいった。厚母、有富、桂、坂、志道(しじ)、中馬、福原といった諸家で、いずれも安芸国の各地の地名を名字とした。【出典】
# 鎌倉時代の初代別当の大江広元の四男の季光(すえみつ)を祖とし、広元の領地だった相模国愛甲郡毛利荘(神奈川県厚木市付近)を継いだのに由来する。なお、江戸時代の赤穂藩主の森家の出もここ毛利で、「もうり(もり)」を「毛利」と書いたか「森」と書いたかの違い。
# 大江広元は相模国毛利荘(神奈川県厚木市)を領し、四男の季光(すえみつ)がこの地を本拠地として毛利氏を称した。その後宝治合戦で三浦氏に加担し、毛利荘を召し上げられたが、越後国佐橋と安芸国の吉田荘の地頭職は安堵され、吉田荘に移り住み、安芸国が毛利氏の本拠地となった。毛利元就の家紋。
# 毛利から派生した名字には、「吉川」「小早川」などがある。
# 豊後佐伯藩主の毛利家は別流で、森氏が豊臣秀吉に仕え毛利氏と改姓した。近江源氏の一族で、鯰江(なまずえ)氏を称していたが、信長に敗れて森の地にうつり森氏となった。さらに、毛利氏に人質として預けられた縁で毛利氏を名乗った。
# 美濃の八神城の毛利氏は清和源氏の出。
# 新潟県の毛利家
# 広島県の毛利家
# 山口県の毛利家
# 大分県の毛利家
# 宇宙飛行士の毛利衛は北海道余市町の出身。架空の話だが名探偵コナンの「眠りの小五郎」こと、毛利小五郎の出身は不明だが、「出身高校は新一や蘭と同じ帝丹高校」とあるから東京か?
# 「毛利」の地名
# 毛利家
# 佐伯藩 ・ 清末藩 ・ 長州(萩)藩 ・ 長府藩 ・ 徳山藩
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