島根県内の「吉見」の名字の詳細 | |
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■ 吉見(よしみ): 島根県の吉見家
# 島根県の吉見家: 清和源氏の出で、鎌倉時代末期に津和野を本拠として勢力をもった。戦国時代に毛利家の家臣となる。【出典】
# 吉見(よしみ): 石見国の国人。武蔵国比企郡吉見荘(埼玉県比企郡吉見町)発祥。清和源氏の出で、源範頼の末裔。鎌倉時代初期に能登国(石川県)に転じ、鎌倉時代後期には得田氏とともに口能登を代表する武士であった。1335年に、足利尊氏が建武政権から離反するといちはやくこれに従い、能登国の守護になった。南北朝時代にも代々北朝に属して能登国の守護をつとめたが、室町時代以降は不詳。1282年に、庶流の頼行が石見国吉見郷の地頭になって能登から転じ、津和野に土着して石見吉見氏になった。以後、代々津和野城に拠り、周辺の在地領主を被官化して西石見を代表する国人になった。応仁の乱では大内氏に従って西軍に属したが、守護代の陶氏と対立。1551年に陶晴賢が大内義隆を殺すと、正頼は津和野城に拠って陶晴賢と戦い、やがて毛利元就が陶晴賢を討つと、毛利氏に仕えて重臣になった。関ヶ原の合戦後には長州藩士の重臣になったが、1618年に広長が自刃、吉川広家の三男の就頼が継いで一門に列し、以後は大野毛利氏を称した。【出典】
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