名字と地名の独り言
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■ 210803: 「何をやったか」という物差しより「誰がやったか」という物差しの方がまかり通る。【小説 遠山金四郎 童門冬二】
※ たしかにそうだ。

■ 210623: 東北地方は歴史上5回中央に征服された
「東北地方は歴史上5回中央に征服された」という表現がある。〆箴綸賃舎穗き源頼朝K臣秀吉て狙邁塙ヌ声0歐靴凌契府軍である。それにたいして室町幕府の黎明期に東北の北畠氏が京に上って足利尊氏を九州に追い、三日天下的な時があった。私は国連憲章など読んだことはないが、その中では未だに「日本は敵国扱い(敵国条項?)」とも聞く。こういう事柄がどうして放置されているかは理解できないが、国内でも同様なことが存在する。それは靖国神社には戊辰戦争におけるいわゆる賊軍の兵士は祀られていない(官軍の兵士は祀られているらしい)とも聞く。私は、特段郷土愛とかにこだわるつもりはないが、こういう話を聞くと靖国神社を肯定する気持ちも失せる。そもそも、国軍の兵士全てを一つの宗教のもとに祀るという感覚もいささか時代遅れなのかもしれない。
まぁ、結果的に奥羽越列藩同盟は敗退したわけだが、その中で異色の存在だった藩が二つある。一つは河井継之助率いる長岡藩だし、もう一つは山形県鶴岡市の庄内藩である。河井継之助の名は学生時代に読んだ司馬遼太郎の「峠」で初めて知って共感したものである。ちなみに、連合艦隊司令長官の山本五十六は長岡藩の家老職の家(養子だったかな?)の出である。河井継之助は結局会津に落ち延びる途中の峠で戦死したわけだが、長岡藩もさることながら会津藩の戦死者は弔うことも許されず、遺体は放置されたとも聞く。いくら敵対していたとは言え、同じ日本人に対してなせる所行とは思えない。これ以上書くと日本国内の民族問題(笑)に発展するので控えよう(笑)。蛇足ながら、官軍の錦の御旗の警護役を務めたのは、近江国の水口藩だったそうだ。そういや水口の近くの住人のFBFいたなぁ。まぁ、少し離れているが、近江八幡を代表とする近江商人は山形商人のルーツともいえるし、江戸時代初頭に改易になった山形藩の最上家は近江国に移封されたし、幕末に山形城主だった水野家(水野忠邦の家系)も、近江国朝日山藩として移封されたので、近江国とは少なからず縁があるということで水に流そう(水口藩だけに)。そうそう、戊辰戦争で中心となった会津藩の藩祖は保科正之だが、正之は信濃国高遠3万石から山形20万石、そして会津若松23万石に転じたが、高遠から山形に来た時点で、武士を多く雇用したはず。そして、その多くは山形藩の前藩主の鳥居家や最上家の藩士だったろう。したたがって、会津藩士の血筋には多くの山形人の地が流れていたはずである。そういった人達も等しく祀っていただきたいものである。すくなくとも、私の心の中では祀っているつもりである。

■ 210306: 水戸光圀といえば、テレビドラマ的には善人。しかし、実態は?若い頃は不良だったともいうし、光圀が藩主になった翌年の1662年には田租が50%を突破。やがて53%まであがったというように、黄門様は経済には疎かったともいう。1690年に光圀は病気を理由に幕府から隠居を許されたとされるが、事実は、経済音痴で百姓が逃亡したため、幕府から隠居させられたとも言われる。

■ 210203: 江戸時代、参勤交代と転封の制度がなかったら、人の往来はずっと少なかっただろう。当然、名字や文化の移動も少なかったはずだから、現在の日本にありように大きな影響があったんだろうね。

■ 210201: 2021年2月1日現在、本サイトへの名字の掲載数は約4,330

■ 210125: 存在の確認されていない名字: 掲載している名字は、主に新聞や雑誌、テレビなどから収集していますが、中には存在が確認されていない名字も。なかにはペンネームで掲載されているケースもあるんでしょうねぇ。

■ 210123: 小名木川は軍用道路(水路)。行徳塩田の塩を江戸へ。上方と戦争になると瀬戸内からの下り塩が入らなくなる。しかし、史料によると行徳塩の割合は1%というから、あまり影響無いんじゃ無い?

名字と地名の独り言2020

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