名字と地名の独り言
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■ 211201: 大阪屋ショップの創業者の名字は「平邑(ひらむら)」。富山市にわずかに見られる稀少姓だ。それにしても、生協の「セフレ」はなぁ。https://youtu.be/CdjVO_6BeMk

■ 211130: 上毛野国。西毛、中毛、東毛、北毛と、毛だらけだが、南毛は無いのか?

■ 211119: 名字や地名に着目すると、日本の歴史がひもとける。
# 田辺の名字は東北地方を除いて広く見られる。古代の大和朝廷の勢力範囲が東北地方にまで及んでいなかったのが理由だろう。つまり、古代には東北地方には朝廷の管理する田である屯倉を耕作する人達である「田部」がなかった。

■ 211115: 沖縄県では、「東」を「あがり」、「西」を「いり」と読む。代表的なのは東江(あがりえ)、西表(いりおもて)。これは、太陽が「東からあがり、西にいる」に由来する。

■ 211020: 甲斐国の「国中」と「郡内」。それらは笹子峠で隔てられ、どちらかというと郡内は、武蔵国や相模国との交流が多かったのかなぁ。相模国の言葉や名字は甲斐国の影響を受けているといわれるが、甲斐国でも郡内の影響が大きいと言うことか?そこ(山梨県大月市)にあったのが岩殿城か。武田勝頼の自刃の地だよね。

■ 211013: 源氏は土地に執着した「農業主義」だったが、平清盛や豊臣秀吉は「商業主義」で、豊臣恩顧の大名をみても、その本拠地は海沿いに多い。それに対して、武装農民の代表である源氏や京の公家は「商売は悪いもの」と認識していた。その結果と言えるのが、源氏の子孫を称する徳川幕府の「士農工商」の位置づけである。そして、明治維新後日本は重商主義への転換によって、産業革命で発展した欧米各国に肩を並べて行き、戦後の驚異的な復興も輸出という商業によることが大きい。そして、時代は変わりこの令和の世の中で発生したウィルス感染の問題。商業はともかく、人の移動と接触が欠かせない「飲食」や「観光」には暗雲が立ちこめた。さて、今後の日本、このまま商業主義で突っ走るのか、農業主義に回帰するのか興味深いところである。温暖化ガス問題も考え合わせると、このままの産業の拡大は難しい。したがって、守りの姿勢を考えれば、農業主義もいいかな?今年は材木不足と高騰も言われているしね、農業に合わせて林業も国土保全には重要だ。しかし、そのためには外国人の土地所有規制は避けて通れないところだ。それをやれる総理大臣はだれだ?やはり「タカッチー」なのか?

■ 211012: 大隈重信は旗本の戸川安宅が築地に持っていた5000坪の土地が与えられたそうだが、これは江戸時代の貸し地ではなく、無料(または安価)で下げ渡しということか?それって、今で言えば国有地を無料(または安価)で払い下げたってことなんだろうから、問題は問題だね。国の財産でしょ?

■ 211008: 拝領地: 江戸から東京に時代が変わるにつれて、官公庁用の土地が必要になるわけだが、江戸の7割を占めた武家地の多くが拝領地(幕府から大名・旗本)に貸与された土地だったのが大きいね。これが、大名家や旗本家の個人財産だったらどうなっていただろう。また、大名家の領地も、幕府、引いては朝廷から預けられた土地という概念で、大名家の私有地という概念であったのが、その後の廃藩置県をスムーズに進められた大きな要因になっていたのではないだろうか。

■ 211005: 幕末に江戸の治安は悪化し強盗などが増えたが、それらが根拠地としたのは薩摩藩の三田上屋敷。おまけに薩摩藩士が堂々とそれらを支援したというから、薩摩藩って今で言うとテロ国家そのものだね。

■ 211002: 和歌山県産の「おうとう」。和歌山県でもサクランボ採れるのかなと思ったら、桜桃では無く、黄桃か。昔は文字が無かったから、口伝によって後世まで伝えられたが、このように誤って解釈して伝えられたものも多いんだろうね。ところで「口伝」、今まで「こうでん」と読んでいたが、「くでん」なんだねぇ。
https://youtu.be/-DZACP731o4

■ 210930: 幕末の長州征伐後に麻布屋敷などの江戸藩邸は没収されて取り壊された。その人員として町火消し約7000人が動員されたそうだ。その賃金だけで2074両。その他の諸々の費用を含めれば8668両で、1両10万円換算で計算すると、約9億円か。

■ 210928: 北条早雲の家訓である「早雲寺殿二十一カ条」には、「女は無駄遣いをし、やたらと家を散らかすものであるから注意せよ」とある。【なぜ日本人は、最悪の事態を想定できないのか 新・言霊論 井沢元彦 祥伝社新書】
※ ただ単に、「女運が悪かった」ということにしておこう。

■ 210920: 赤穂藩には山鹿素行の教えが広まっていた。討ち入りの時も山鹿流の陣太鼓だったかな?山鹿素行は朱子学を批判して幕府からにらまれていた。つまり、赤穂藩の考え自体が幕府ににらまれていた?それと、殿中松の廊下事件で赤穂藩が取りつぶされたのと、なにやら関係があるのだろうか?

■ 210918: 騙される人は騙す気がないから騙される。騙されない人は騙す気があるから騙されない・・・・なのか?

■ 210915: 「そば屋幻庵」にもの申す(笑)
 )厂邁箸硫柴きの「おみつ」が作中で、主人公の牧野玄太郎の息子の栄次郎の妻の「かなえ」を、「かなえ奥様」と呼ぶシーンがあるが、江戸時代には実名を言うのは稀で、ましてや下女が主人の名前を言うのは解せない。牧野家は旗本のようだから、呼ぶならば「奥方さま」「奥さま」かな?
◆‘讃貅腓僚月を見送るシーンで、「岩代に戻られて・・・」という セリフがあるが、岩代はたぶん岩代国だと思うが、岩代国が陸奥国から分かれたのは明治時代になってからなので、江戸時代のこの地名が出てくる?それとも、岩代という地名(郡名)があったのか?でも、普通は江戸に居て他国の郡名は言わないよねぇ。

■ 210910: 長州藩、蛤御門の変で京へ攻め込んだわけだよね。おまけに御所に発砲までしている。完全に朝敵だ。それに対して、奥羽越列藩同盟が弓を引いたのは、朝廷ではなく、薩長が掲げた「錦の御旗」と言ってもいい。それが、後世まで尾を引いて、官軍(長州人も含めて)は靖国神社に祭られて、賊軍と言われた旧幕府軍の王右列列藩同盟は靖国神社に祭られていない?。これ、なんか納得できない。くしくも、菅総理が事実上の辞表を出したわけだが、ルーツは秋田県。それでは旧幕府軍の奥羽越列藩同盟派かといえば、秋田藩は東北地方でも数少ない官軍派。一時は、庄内藩(鶴岡藩)に攻められて落城寸前までいったらしい。そういや、菅総理の前の安倍さんは山口県だからバリバリの長州人だ。麻生さんは福岡だからこれも官軍だし、小泉さんのルーツもたしか鹿児島だから、これも官軍派だなぁ。

■ 210907: 「言霊」がわかれば日本がわかり、日本史の謎がとける。
# 言霊: 広辞苑によると、「言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた。【なぜ日本人は、最悪の事態を想定できないのか 新・言霊論 井沢元彦 祥伝社新書】
※ 「言霊」、「言葉狩り」。なんか一連の関連性がありそう。

■ 210904: 史料至上主義
「千葉県九十九里浜地域の地下で津波堆積物を発見。津波の再現シミュレーションによりM8クラスの地震が房総半島沖で発生したことが明らかに。房総半島沖に沈むフィリピン海プレートと太平洋プレートの境界も津波の波源として注意が必要。」
※ 歴史家は史料至上主義というが、今まで「史料(歴史的記録)」にはなかったが、大津波はあったということが、これで証明されるのか?
https://research-er.jp/articles/view/102700

■ 210825: 愛新覚羅: いやぁ、この名字あるんですねぇ。初めて拝見しました。

■ 210824: 「本丸 目付部屋 権威に媚びぬ十人」という本(小説)だったかな。「豊前は小倉新田(にった)藩1万石・・・・」とあったが、江戸時代に新田を開発して支藩の設立した場合には、「新田(しんでん)藩」ではなかろうか。

■ 210803: 「何をやったか」という物差しより「誰がやったか」という物差しの方がまかり通る。【小説 遠山金四郎 童門冬二】
※ たしかにそうだ。

■ 210623: 東北地方は歴史上5回中央に征服された
「東北地方は歴史上5回中央に征服された」という表現がある。〆箴綸賃舎穗き源頼朝K臣秀吉て狙邁塙ヌ声0歐靴凌契府軍である。それにたいして室町幕府の黎明期に東北の北畠氏が京に上って足利尊氏を九州に追い、三日天下的な時があった。私は国連憲章など読んだことはないが、その中では未だに「日本は敵国扱い(敵国条項?)」とも聞く。こういう事柄がどうして放置されているかは理解できないが、国内でも同様なことが存在する。それは靖国神社には戊辰戦争におけるいわゆる賊軍の兵士は祀られていない(官軍の兵士は祀られているらしい)とも聞く。私は、特段郷土愛とかにこだわるつもりはないが、こういう話を聞くと靖国神社を肯定する気持ちも失せる。そもそも、国軍の兵士全てを一つの宗教のもとに祀るという感覚もいささか時代遅れなのかもしれない。
まぁ、結果的に奥羽越列藩同盟は敗退したわけだが、その中で異色の存在だった藩が二つある。一つは河井継之助率いる長岡藩だし、もう一つは山形県鶴岡市の庄内藩である。河井継之助の名は学生時代に読んだ司馬遼太郎の「峠」で初めて知って共感したものである。ちなみに、連合艦隊司令長官の山本五十六は長岡藩の家老職の家(養子だったかな?)の出である。河井継之助は結局会津に落ち延びる途中の峠で戦死したわけだが、長岡藩もさることながら会津藩の戦死者は弔うことも許されず、遺体は放置されたとも聞く。いくら敵対していたとは言え、同じ日本人に対してなせる所行とは思えない。これ以上書くと日本国内の民族問題(笑)に発展するので控えよう(笑)。蛇足ながら、官軍の錦の御旗の警護役を務めたのは、近江国の水口藩だったそうだ。そういや水口の近くの住人のFBFいたなぁ。まぁ、少し離れているが、近江八幡を代表とする近江商人は山形商人のルーツともいえるし、江戸時代初頭に改易になった山形藩の最上家は近江国に移封されたし、幕末に山形城主だった水野家(水野忠邦の家系)も、近江国朝日山藩として移封されたので、近江国とは少なからず縁があるということで水に流そう(水口藩だけに)。そうそう、戊辰戦争で中心となった会津藩の藩祖は保科正之だが、正之は信濃国高遠3万石から山形20万石、そして会津若松23万石に転じたが、高遠から山形に来た時点で、武士を多く雇用したはず。そして、その多くは山形藩の前藩主の鳥居家や最上家の藩士だったろう。したたがって、会津藩士の血筋には多くの山形人の地が流れていたはずである。そういった人達も等しく祀っていただきたいものである。すくなくとも、私の心の中では祀っているつもりである。

■ 210306: 水戸光圀といえば、テレビドラマ的には善人。しかし、実態は?若い頃は不良だったともいうし、光圀が藩主になった翌年の1662年には田租が50%を突破。やがて53%まであがったというように、黄門様は経済には疎かったともいう。1690年に光圀は病気を理由に幕府から隠居を許されたとされるが、事実は、経済音痴で百姓が逃亡したため、幕府から隠居させられたとも言われる。

■ 210203: 江戸時代、参勤交代と転封の制度がなかったら、人の往来はずっと少なかっただろう。当然、名字や文化の移動も少なかったはずだから、現在の日本にありように大きな影響があったんだろうね。

■ 210201: 2021年2月1日現在、本サイトへの名字の掲載数は約4,330

■ 210125: 存在の確認されていない名字: 掲載している名字は、主に新聞や雑誌、テレビなどから収集していますが、中には存在が確認されていない名字も。なかにはペンネームで掲載されているケースもあるんでしょうねぇ。

■ 210123: 小名木川は軍用道路(水路)。行徳塩田の塩を江戸へ。上方と戦争になると瀬戸内からの下り塩が入らなくなる。しかし、史料によると行徳塩の割合は1%というから、あまり影響無いんじゃ無い?

名字と地名の独り言2020

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