名字と地名の独り言2016
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■ 161227: 幕末に約7万あった藩政村は、明治22年の大合併で約1万3300の行政村に集約された。

■ 161217: 権力の交代時には巨大な建造物ができるか、なるほど。出雲大社もそうだし、安土城、大坂城、江戸城、他になにかあるかなぁ。

■ 161122: 後鳥羽上皇って、文武両道で、競馬(くらべうま)、相撲、弓、闘鶏、蹴鞠、囲碁、双六、彫刻、建築となんでもやった?

■ 161121: 内田康夫の「信濃国殺人事件」によると、信濃のコロンボこと長野県警の竹村警部の相棒の吉井部長刑事は長野県の松代の出身。

■ 161121: 戦国時代末期に、南蛮船の来航とともに日本国内に梅毒が入ってきて、結城秀康や黒田如水などが罹患していたとされる。一方、徳川家康は遊女を買わなかったので、感染を免れ長生きしたという。

■ 161121: 知知夫国時代の知知夫彦の「夫」は阿倍比羅夫の「夫」と同じ。「夫」→「父」。「秩」は官位や官職、扶持や俸禄を意味する。

■ 161115: 松尾芭蕉の弟子の曽良は信濃国上諏訪の生まれで高野七兵衛の長男だが、本名は岩波庄右衛門正字といった。後に伊勢国の長島藩に仕え、通称河合惣五郎といった。

■ 161112: 羽柴の由来
・ 内田康夫の「地の日 天の海」に書いてあったのかなぁ?小説なんで事実かは知りませんがとりあえず。
・ 羽柴秀吉は「端柴稗よし?」。では、端を羽に変えた理由は?佳字か?そういや、秀吉って若い頃「柴」の行商していたんだっけ?

■ 161105: 科野大宮(長野県上田市)。国分寺があったあとか?宮は神社だから、違うか。

■ 161105: そうか、勝頼が上野国の岩櫃城に行っていたら本能寺の変は起きなかったか。なるほど、その理屈、理解できるなぁ。その理屈ってなんだったかな?

■ 161105: 山本勘助武田信玄の軍師と言われるが、この時代軍師はいなかった。ついでに江戸時代には藩はなかった。

■ 161031: 八代将軍吉宗と大岡越前の出会いは、越前が山田奉行の時の天領と紀州の松坂領との諍いが発端と言われるが、紀州藩の飛び地がなぜ伊勢の松坂にあったのか。なるほどなぁ。事実かは知らないが、紀州藩の初代藩主が鷹狩りが好きで、鷹狩りのできる平地の領地が欲しかった。えっ?紀伊国ってそれだけ平地が無いってことか。

■ 161014: へぇ、北海道に「礼文郡」と「利尻郡」があるのかぁ。もしかして、礼文郡って礼文島だけで、利尻郡って利尻島だけ?ちなみに東京都の伊豆諸島にはたしか郡名ないんだよな。

■ 160912: 関ヶ原の戦い。なんか、昨日の真田丸、録画はとりましたがまだ見ていない。しかし、ネットでは関ヶ原の戦いのシーンが数十秒しか放映されていない、主たるものは第二次上田合戦だと話題になっているみたい。でも、当たり前じゃないの?真田家は関ヶ原に出陣していないし、主たる戦場は上田だったんだから。加えて言えば、出羽国山形目線でみれば、関ヶ原の戦いの主戦場は「長谷堂の戦い」。上杉家最上家伊達家連合軍の戦いですね。

■ 160721: 越中の犠牲の上に能登が栄えたか。

■ 160721: 幕末の奥羽戦争の死者: 秋田藩(361人、官軍)、庄内藩(322人・賊軍)、長岡藩(309人、賊軍)、米沢藩(283人、賊軍)、盛岡藩(112人、賊軍)

■ 160515: 「太閤記」の著者の小瀬甫庵(おぜほあん)は前田利家の息子の利常の保護下で記述した。前田家の悪口は書くわけないよな。
※ 滅んでしまった一族を悪者に仕立てるのが常道。賤ヶ岳の戦いの柴田家の敗因。

■ 160406: へぇ、前田慶次郎には子どもがいたのかぁ。慶次郎はたしか上杉家米沢藩)に身を寄せた記憶が。
・ 岐阜県の川瀬家: 美濃国多芸荘祖父江(岐阜県養老郡養老町祖父江)の旧家。石田三成の家臣だった川瀬彦兵衛は前田慶次郎の子の吉兵衛を託されて祖父江に隠れ住んだという。江戸時代には庄屋を務めた。

■ 160315: 「市」の中に「村」。北海道稚内市稚内村は知ってたが、埼玉県上尾市上尾村もあるんだねぇ。

■ 160315: 今日は、朝(夜中)からアクセスが多いんですが、なんでだ?

■ 160301: 続日本紀大宝二年(702年): 3月17日: 越中国のうち四郡(頸城・魚沼・古志・蒲原)を割いて越後国の所領とした。
※ 昔は、越中国は今の新潟県域まで及び、後に四郡を越後国に編入したようです。当時の越後国は今の新潟県の北部から出羽国のあたりを言ったのかな。

■ 160114: 日本の前近代にいては、河川は源流から河口までを一つの名称でよばれることは珍しく、地域毎に違うのが普通だった。たとえば、京の保津川→大堰川→桂川→淀川。

■ 160112: 【日本の名字 武光誠 角川新書】で、「名字の分布は日本人の移動図」と述べている。  

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