「天界(てんかい)」の集落(地名) | |
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■ 「天界(てんかい)」の集落(地名)
# YOUTUBEに「集落町並み探訪学 ・ 集落町並みWalker _JPN Walker」というチャンネルがあり、その中に「天界(あまさか)の村を歩く」というコンテンツがある。近くの山村をみても、そのほとんどは山間の谷間に存在し、このように山の尾根や中腹に開けた集落は見たことが無い。もっとも、その存在を認識していないだけかも知れないが。以前、秘境駅の動画で「飯田線」が取り上げられ、その中で秘境駅から歩いてたどり着いた集落(廃村だが)がまさにその「天界の集落」だったことを思い出した。その名は「夏焼(なつやき)集落」。それを見たとき画像に表現されたビジュアルな風景に加えて、その集落のたどってきた歴史に興味を覚えた。そこで、ここでは「天界(てんかい)」の集落(地名)を考えて見たいと思う。なお、ここで扱うのは「天界の集落+周辺の集落」である。
それにしても、「天界の集落」がみごとに「中央構造線」にそって見られ、東は埼玉県の秩父山系から九州までに分布するのは驚きである。天界の集落は、自然と人間の歴史のコラボそのものである。
■ 倉掛(くらかけ): 東京都西多摩郡檜原村倉掛
# 10世帯25人。尾根のてっぺんの集落。
# 【参考】 天界の村を歩く2 関東山地
多摩川(東京都) https://youtu.be/iUru1qtLms4 【集落町並みWalker
_JPN Walker】
■ 埼玉県秩父市大滝: 栃本集落(24世帯39人)、寺井集落(7世帯14人)、麻生集落(15世帯31人)
# 参考: [解説]天界の村を歩く 関東山地 南部(埼玉県・東京都)【集落町並み探訪学】
# 栃本(とちもと): 秩父市大滝栃本には栃本関所跡が残る。
■ 留浦(とずら): 東京都西多摩郡奥多摩町留浦(とずら)
# 多摩川上流北岸の山間地。七ツ石山(1,757m)・高丸山(1,733m)・鷹ノ巣山(1,736m)などの山麓。西は甲斐国(山梨県)に接する。峰谷川が多摩川に注ぐ。現在は奥多摩湖の北岸の地。「浦の留り」の意か。また禁漁の浦の意か。正保年中改正図には見えず、元禄年中改正図に川野・河内・原の3村とともに、小河内(おごうち)の冠称を付して見える。また同図には「留浦村ノ内峯村」がある。【出典】
# 留浦(とずら): 48世帯89人
# 峰(みね)集落:
# 奥(おく)集落:
# 【参考】 天界の村を歩く2 関東山地
多摩川(東京都) https://youtu.be/iUru1qtLms4 【集落町並みWalker
_JPN Walker】
■ 七色(なないろ)集落: 奈良県吉野郡十津川村七色。十津川下流域に位置する。【出典】
# 七色(なないろ): 和歌山県東牟婁郡北山村七色。熊野川支流北山川中流右岸山中に位置する。地名については「続風土記」に「村名の色は借字にて?(うろ)の転語、豆呂といふに同く川崖の地名」とある。また大台ケ原から赤、青など七色の石が流れてきたことにちなむともいい、古く7人の人が住んでいたことによるとする伝承もある。【出典】
・ 七色村: 江戸期〜明治22年の村名。牟婁(むろ)郡のうち。江戸前期に竹原村から分村して成立。和歌山藩新宮領城付。北山組に所属。村高は、「天保郷帳」74石余、「旧高旧領」69石余。なお「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに「竹原村枝郷」と肩書きされている。明和〜寛政年間ごろの「紀州新宮領分見聞記」によれば、村高63石余・家数30軒(続熊野の史料)。村内小名は田井本。産土神は竹原村の古宇土宇の宮(骨置神社)。寺院は曹洞宗浄泉庵。明治4年新宮県を経て和歌山県に所属。同6年には戸数29,男90・女96。同11年寺院を仮校舎として小学校開校,竹原村とともに男子16・女子5が通学。同15年七色小学校の校舎が完成。明治12年東牟婁郡に属し,同22年北山村の大字となる。【出典】
■ 果無(はてなし)集落: 奈良県吉野郡十津川村桑畑。奈良県十津川村の南端にあたり、尾根の先端の稜線上に位置する。熊野古道の小辺路(こへち)沿いに位置する。
# 果無山脈(はてなしさんみゃく): 果無山ともいう。奈良県の南縁部を東西に走る山脈。広義にはさらに西方の和歌山県下の虎ケ峰方面に連なる山脈をも含むが、狭義には県南西隅の和田森から吉野郡十津川村と和歌山県の中辺路町・本宮町の境界を東に向かい安堵山・黒尾山・冷水山(果無西山)、石地力山(果無東山)を経て十津川河谷の七色付近に終わっている。稜線の高度は比較的揃っており、また平坦面も残存し、行けども果てしなく山道が続くのが山脈名の由来とされる。この山道が果無道で古来、高野山と熊野本宮大社を結ぶ参詣道であった。【出典】
# 果無・果敢無(はかな): ((形容詞「はかなし」の語幹))はかないこと。【全訳古語辞典・東京書籍】
# 参考: 【YOUTUBE】
■ 保土ヶ谷(ほどがや): 神奈川県横浜市保土ケ谷区
# 参考: 天界の住宅地を歩く 横浜保土ヶ谷(神奈川県)/斜面住宅地に囲まれた谷間のまち【集落町並みWalker _JPN Walker】
# 主なランドマーク: 首都高狩場線の清水ヶ丘アーチ橋(両側の台地を結んで谷を越えている) ・ 大原隧道(全長254m。1928年に作られた水道施設で西谷浄水場から蒔田・磯子方面への送水) ・ 東隧道(1930年に作られた送水用) ・ 保土ヶ谷橋交差点(この周辺の地形が一番複雑)。
・ 「いわな坂」の中腹に「御所台の井戸」がある。鎌倉時代、源頼朝の妻の政子がこの水を化粧に使ったと伝えれる。
# 主な地名: 蒔田 ・ 大岡 ・ 井土ケ谷(京急井土ケ谷駅) ・ 弘明寺 ・ 清水ケ丘 ・ 瀬戸ケ谷
# 駐車場が「基壇」になっている。
【参考】
・ YOUTUBE(集落町並み探訪学): https://www.youtube.com/watch?v=o6tejcMzhwg
・ YOUTUBE(集落町並みWalker _JPN Walker): https://www.youtube.com/channel/UCf9uPmJgnaaoLMro1BM8Dcw
・ 人口統計ラボ: 掲載の人口などはこのサイトによるものです。
・ 奈良県のサイト: https://www.pref.nara.jp/27384.htm