静岡県内の「吉川・吉河」の名字の詳細
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■ 県内177位: 吉川・吉河(よしかわ、きっかわ)

# 吉川、吉河、吉香(きっか)の発祥は同じで、吉香が古く、吉河、吉川の字は新しいといい、キツカ、キツカワが本来の読みと言われる。吉川姓は、現在では「ヨシカワ」読みが多く、静岡県内では177位で、東部、中部に見られ清水市(現静岡市)が最多。【出典

# 駿河国の吉川氏の祖は、藤原為憲の後裔の入江右馬允景兼の孫の経義が1185年に有度郡入江庄吉川村(清水市・現静岡市)に館を築いて吉香氏を称し、五代孫の経高まで128年間この地に住んだ。「吉川系図」では、「初め吉香(きっか)あるいは木河(きっか)、吉河(きっか)、後に吉川(きっかわ)に定む」とある。経義の子の、小次郎友兼は鎌倉幕府に仕え、幕府に反逆して京都に向かう梶原一族の追討のときに、奮戦して深手を負ったが梶原景茂を討ち取り、駿河国第一の勇者と賞された。その子の左衛門尉経兼は父の功により播磨国福井庄の地頭になり、子の左衛門尉経光は承久の乱のときに、宇治川で武勇をあらわし、恩賞として安芸国大朝本庄などの地頭職に任ぜられたので、その子の経高の大の1313年に安芸国に転じた。経高の子(弟とも)の経盛は足利尊氏に属し、子孫は安芸吉川(きっかわ)氏として栄えた。子孫は江戸時代には岩国藩主。【出典】 

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