「分銅」の家紋の解説 | |
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■ 「分銅」の家紋の解説: 「分銅」の家紋図
# 分銅は金銀などを正確に計測するために秤とともに発達し、室町時代には、後に貨幣元締めである金座の長である後藤家によって分銅の使用が管理された。また、中国から持ち込まれた雑宝文様が室町時代に宝尽くし文様としてはやったが、その一つが中国の銀錠(銀塊を鋳造して貨幣としたもの)をもとに分銅文様だった。それはやがて、瑞祥的な意義を持って家紋化したと考えられる。初見は江戸時代と言われ、出雲国松江藩の堀尾家や松平家、近藤家などが使用した。兵庫県、大阪府、徳島県、福岡県などに多く見られる。【出典】
# 分銅紋【出典】
・ 金銀を計測する重量計測の重りで、家紋としては比較的新しい紋。貨幣経済が発展した江戸時代には、両替商の看板などに分銅を描いた看板が掲げられ、商人が使用したとみられる。兵庫県、大阪府、徳島県などに見られる。
・ 分銅紋、並び分銅紋、花分銅紋、五つ捻じ分銅紋、宝分銅紋、五つ分銅紋。
# 分銅紋(ぶんどうもん)・曲尺紋(かねじゃくもん): 分銅は、秤(はかり)のおもりを紋章にしたもの。左右のバランスがとれた美しい紋様。桜花に見立てた分銅桜は、大阪万博のシンボルマークにもなった。曲尺は大工道具で、L字形の単純な図柄。ものを正しく計る。それが、正義に通じることから、これらは家紋になった。分銅は、松平家、堀尾家、近藤家、桜庭家など。曲尺は武者家などに見られる。【出典】
# 分銅紋: 左右対称の形が美しく、花弁に見立てて五つを並べた「分銅桜」といわれた紋は、大阪万国博覧会のシンボルマークとして使用された。近藤家、堀尾家、能美松平家などに見られる。【出典】
# 中島家、矢野家、藤本家、西村家、坪井家、浅川家、有馬家、新村家、大貫家、福永家などに見られる。
【家紋の図柄】