大内義興 | |
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■ 大内義興(おおうちよしおき)【出典】: 「大内」の名字の由来
・ 1477ー1528年。享年52歳(病死)。
・ 出身地: 長門国。
・ 肩書き: 武将。
・ 家族: 父:大内政広。
・ 家紋: 大内菱紋。
・ 大内義興は、中国地方西部から北九州にまたがる六カ国の守護をつとめた戦国大名である。1500年に、明応の政変によって京を追われ、落ちのびてきた前将軍の足利義稙を山口で保護し、1508年には義稙を擁して上洛。義稙を復位させ、自らも管領代・山城国の守護を務め、幕政に参加した。しかし、やがて幕府内で対立が生じ、義稙とも不仲になった。また、領内の安芸国・石見国に尼子経久が侵攻してきたため、義興は1518年に畿内から山口に帰国。その後安芸国に出兵して、以後は尼子氏と戦いを繰り返したが、陣中で病没した。
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