吉備氏
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 古代豪族の目次
スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 吉備氏(きび うじ): 「吉備」の名字の由来

# ルーツ: 吉備津彦・在地豪族の御友別(みともわけ)

# 拠点: 吉備地方

# 特徴: 軍事に秀で、朝鮮外交を担当

# 役職:  右大臣・吉備朝臣

・ 吉備氏とは、古代の吉備国(今の岡山県や広島県東部)で勢力をもった氏族の総称で、備前の「上道(かみつみち)」「和気(わけ)」「三野(みの)」、備中の「賀陽(かや)」「津(つ)」「窪屋(つぼや)」「下道(しもつみち)」「薗(その)」「小田(おだ)」、備後の「笠(かさ)」などの名が見える。吉備氏の祖先は、古事記によると「孝霊天皇の子の比古伊佐勢理毘古命(大吉備津日子命)」などが祖とされる。

・ 吉備真備: 吉備氏の有名人。「吉備真備」と「和気清麻呂」。吉備真備は右衛士少尉下道朝臣圀勝の子で、備中国小田・下道郡を本拠地とした。母親は大和国宇智郡の渡来系豪族の楊貴(八木)氏の出で持統末年頃といわれる。19年間も唐に留学し出世したが、天平勝宝2年(750年)に突然筑前守に左遷された。しかし晩年には右大臣を務めた。

・ 桃太郎の話にでてくるきび団子の始まりは、室町時代に吉備津宮の門前町であった宮内とも言われる。また、桃は古来より鬼神を対峙する機能を持つ呪果であり、その呪力を身につけた桃太郎が、犬、雉子、猿をつれて鬼ヶ島に鬼退治に行く話は、天皇の委任をうけて西方の鬼国を討伐する英雄を表していると言われる。足守川の右岸に鬼城山があり、天智天皇の時代につくられた朝鮮式山城がある。平安時代には寂れて鬼神の住処と言われるようになった。

# 吉備(きび)氏

・ 後の備前・備中国南部(現在の岡山県南部)を本拠とした豪族。姓は臣。上道臣・下道臣・香屋臣・三野臣・笠臣・苑臣などの吉備系諸氏族の総称とみる説と、本来単一の氏族であった吉備臣氏が、のちに諸氏に分かれたとする説がある。ただし、後説においても、吉備氏の実態は岡山平野の各地域を本拠とした首長らの連合体とみられる。吉備氏の系譜は、日本書紀孝霊天皇二年条には孝霊の皇子の雅武彦命を吉備臣の始祖とするが、古事記の孝霊天皇段では孝霊の皇子の比古伊佐勢理眦古命を吉備上道臣の祖、異母弟の若日子建吉備津日子命を吉備下道臣・笠臣の祖とする。また古事記の景行天皇段には倭建命の蝦夷討伐に随行した御?友耳建日子を吉備臣らの祖とする伝承もある。【出典

姓:真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連。直・臣・使主・君・公などの詳細

統計表示