和気清麻呂 | |
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■ 和気清麻呂(わけのきよまろ)【出典】
・ 733−799年。享年67歳(病死)。
・ 出身地: 備前国。
・ 肩書き: 公家。
・ 家族: 姉:和気広虫
・ 769年に宇佐八幡宮(大分県)から、「道鏡を皇位に就かせれば天下は太平になる」という神託が孝謙上皇(称徳天皇)に奏上された。称徳天皇自身もそれを望んだと見られ、その真意を確かめるために和気清麻呂が派遣された。しかし、清麻呂が聞いたのは「天皇の位は必ず皇族が継ぐ」という託宣だった。この報告を受けた称徳天皇は怒り、別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と改名させ、大隅国への流罪を命じた。道鏡は皇位につくことはなく、称徳天皇の崩御後に、清麻呂は光仁天皇に呼び戻され、次いで桓武天皇のもとで高官になった。
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