出典:わずか五千石 ちいさな大大名の遣り繰り算段
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■ わずか五千石 ちいさな大大名の遣り繰り算段 主婦の友新書より

・ 四品(しほん) 従四位下。諸大夫 従五位下。
 四品のほとんどは国主格で、51家。10万石以下は、美濃高須3万石、伊予西条3万石、上野吉井1万石、石見浜田6万1千石、陸奥守山2万石、播磨明石8万石、下野喜連川5千石。

・ 足利幕府の故実を徳川幕府に生かそうとした、徳川家康は、関ヶ原の戦いの後に京の東山に隠れ住んでいた細川幽斎のもとに永井直勝を学びにいかせ、「室町家式」三巻をまとめさせた。永井直勝の末裔が永井荷風。

・ 水戸家から19歳の徳川昭縄が喜連川に1860年5月婿養子に来て、十二代の喜連川縄氏となった。昭縄の幼名は余一麿といった、これは徳川斉昭の十一男だったことによる。斉昭の子は、長男の慶篤は別として、次男以降は次郎麿、三郎麿、四郎麿と番号制で名づけた。七郎麿が後の徳川慶喜。【参考:那須与一は長男か?

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