島根県内の「松平」の名字の詳細
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■ 松平(まつだいら): 島根県の松平家 

# 島根県の松平家: 松江藩主徳川家康の次男の松平(結城)秀康の子の松平直政が信濃国松本から転じた。 

・ 松江藩主徳川家康の二男の結城秀康末裔。1619年に秀康の三男の直政が上総柿崎藩1万石を立藩したのが祖。その後、越前大野5万石、信濃松本7万石を経て、1638年に出雲松江18万6000石に転じた。江戸時代中期の藩主の松平治郷家老の朝日丹波とともに藩政改革を実行した名君で、また不昧と号した茶人で、石州流を興した。明治時代には伯爵。分家に、広瀬藩主母里藩主の松平家がある。【出典

# 島根県の松平家: 石見浜田藩主。徳川綱重の三男で六代将軍家宣の弟の清武は、越智氏に養われて越智氏を称していたが、1707年に松平氏を許されて上野館林2万4000石に入封したのが祖。武元は老中を務め、6万1000石に加増された。1832年に石見浜田に転じたが、1866年の第二次長州征伐で長州軍に敗れて浜田城を放棄、美作鶴田(岡山市北区)に転じた。明治時代には子爵。【出典

# 島根県の松平家: 出雲広瀬藩主。初代松江藩主の直政の二男の近栄が1666年に新田3万石を分知され、能義郡広瀬(島根県安来市広瀬町)に陣屋を構えたのが祖。明治時代には子爵。【出典

# 島根県の松平家: 出雲母里(もり)藩(島根県安来市)藩主。初代松江藩主の直政の三男の隆政が1666年に新田1万石を分知され、出雲母里を居所としたのが祖。1673年に隆政が没した際、無嗣であったため本藩に返されたが、直政の四男の直丘を養子とすることが認められて再興した。明治時代には子爵。【出典】 

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