老中 | |
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■ 老中(ろうじゅう)
# 定員3〜5名で2万5000石以上の譜代大名から選ばれ、月番制をとった。
# 老中は10万石以下の譜代大名から選ばれ、大名や朝廷、外国関係を扱い、大目付、町奉行、勘定奉行、遠国奉行などの役人を管轄した他、軍事をつかさどった。
・ 江戸幕府開設時には「年寄衆」といい、酒井正親、本多正信、大久保忠隣、酒井忠世の4名が務めた。三代将軍徳川家光の時代に「老中」という言葉が使われるようになった。
・ 老中は3万石以上の譜代大名で執務時間は四つ半(午前11時)から八つ半(午後3時)まで。
【参考:お江戸の役人 面白なんでも事典 中江克己 PHP文庫】
・ 幕閣の最高位(平時)。定員は4〜5人で、月番制で職務にあたった。
・ 譜代大名で、石高が3〜12万石の城主から選ばれた。
・ 三代将軍徳川家光のころまでは「年寄」と言われた。
【譜代大名126家「勝ち組」の出世競争 榎本秋 晋遊舎新書】
# 一大名家からの老中就任者数
・ 播磨姫路藩の酒井家、備後福山藩の阿部家、三河国の西尾藩の松平家、遠江浜松藩の井上家: 5人
・ 陸奥磐城藩安藤家、下総関宿藩の久世家、下総国の佐倉藩の堀田家、三河国の吉田藩の松平家、山城国の淀藩の稲葉家、若狭国の小浜藩の酒井家、相模小田原藩の大久保家: 4人。
# 老中: 将軍直轄で3〜12万石の譜代大名で、定員4〜5名。将軍を補佐し、大目付、町奉行、遠国奉行、駿府城代などを指揮、監督。朝廷や公家に関わる事柄や、外交、幕府の財政などを担った。【歴史人 2018.08.No92 江戸三百藩「仕事と暮らし」】
# 老中や老女の「老」は、「重要な役」という意味で、年は関係無い。江島生島事件で有名な老女の江島は33歳だった。【江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた サムライと庶民365日の真実 古川愛哲 講談社】