山形県内の「水野」の名字の詳細 | |
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■ 水野(みずの): 山形県の水野家
# 山形県の水野家: 山形藩主。水野信元の弟の忠守が元和2年(1616年)に下総国山川藩(茨城県結城市)を立藩した。後裔に天保の改革の水野忠邦がおり、忠邦が失脚後に嫡子の忠精が出羽国山形5万石に転じた。明治維新後には近江国朝日山(滋賀県長浜市湖北町)に転じた。
・ 山形藩主。刈谷城主の水野信元の弟の忠守が1616年に下総国山川(茨城県結城市)で立藩した。その後、駿河国田中藩4万石、三河国吉田藩4万5000石、三河国岡崎藩5万石を経て、1762年に肥前国唐津藩6万石。1812年に水野忠邦は藩政改革で実高20万石と裕福になったが、老中になるための工作で遠江国浜松藩6万石へ。1828年に老中となり天保の改革を推進したが、1845年に失脚して嫡子の忠精が出羽国山形藩5万石に転封。明治維新後には近江国朝日山藩に転じた。後に子爵。【出典】
※ 唐津藩主は、たしか長崎警備のため老中にはなれなかったはず。そのために、出世城として有名な浜松への転封を画策したんでしょうね。そのために実高は減った。
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