愛知県内の諸藩
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■ 足助藩(あすけはん)

・ 三河国。足助陣屋。本多家譜代大名。1万石。天和3年に旗本の本多忠周が寺社奉行になって立藩したが、罷免されて廃藩に。【出典

■ 伊保藩(いぼはん)

・ 三河国。伊保陣屋。本多家譜代大名。1万石。関ヶ原の合戦の後に、丹羽氏次が1万石で立藩。天和元年に本多忠晴が1万石で入封。【出典

■ 大垣新田(畠村)藩: 愛知県田原市

・ 戸田家1万石・譜代大名・陣屋

・ 1688年に大垣藩より分家した。

・ 普通、「新田藩」というのは本藩の近くにあるものだが、ここは離れてるね。もともと、この周辺に本藩の領地があって開墾したものか?

・ 三河国大垣藩の支藩。畠村陣屋。戸田家譜代大名。1万石。三河国内に3000石、美濃国内に7000石を領した。【出典

・ 美濃国。畑村陣屋。戸田家譜代大名。1万石。元禄元年に立藩(大垣藩の支藩)。控間:菊間格:無城位階:従五位下。上屋敷:千代田区霞が関。大垣藩主の戸田氏定が弟の氏成に分知して立藩。畑村藩ともいう。明治2年に、藩庁を美濃村に移転した。【出典

■ 犬山藩(いぬやまはん)

・ 尾張国。犬山城。成瀬家譜代大名。3万5000石。明治元年に立藩。位階:従五位下。上屋敷:千代田区六番町。関ヶ原の合戦の後に、小笠原吉次が入封して以来、平岩親吉・成瀬正成が尾張徳川家のの付家老になった。明治元年に、新政府の計らいで陪臣の成瀬家の九代の成瀬正肥が立藩。【出典

■ 大浜藩(おおはまはん)

・ 三河国。大浜陣屋。水野家譜代大名。1万4000石。明和5年に、水野忠友が新たに立藩した。その後、藩庁を駿河国沼津に移した。【出典

■ 岡崎藩(おかざきはん): 愛知県岡崎市

■ 緒川藩(おがわはん)

・ 尾張国。緒川城。水野家譜代大名。9820石?関ヶ原の合戦の後に、水野分長が入封。のちに、分長が三河国新城転封になって廃藩。【出典
※ 1万石ないの?

■ 大給藩(おぎゅうはん)

・ 三河国。大給陣屋。大給松平家譜代大名。1万6000石。貞享元年(1684年)に、大給松平乗次が大名になって立藩した。のちに、藩庁を奥殿に移した。【出典

■ 奥殿藩(おくどのはん)

・ 三河国。奥殿陣屋。大給松平家譜代大名。1万6000石。正徳元年(1711年)に、大給藩主の大給松平乗真が藩庁を奥殿に移して立藩した。【出典

■ 尾張黒田藩(おわりくろだはん)

・ 尾張国。黒田城。一柳家。外様大名。3万石。天正18年(1590年)に一柳直盛が3万石で立藩。関ヶ原の合戦の後に伊勢国神戸転封となって廃藩。【出典

■ 尾張藩(おわりはん): 愛知県名古屋市

■ 形原藩(かたのはらはん)

・ 三河国。形原城。形原松平家譜代大名。1万石。元和4年に形原松平家信が立藩したが、翌年には摂津国高槻転封になって廃藩。【出典

■ 刈谷藩(かりやはん): 愛知県刈谷市

・ 「刈谷」の地名

・ 土井家2万3千石・譜代大名

・ 刈谷は徳川家康の母親の於大の方の実家の水野家の本拠地。

・ 1747年に、西尾から古河藩主土井家の分家が入封。

# 三河国。刈谷城。土井家譜代大名。2万3000石。慶長5年に立藩。控間:雁間格:城主位階:従五位下。上屋敷:千代田区永田町関ヶ原の合戦後に、水野勝成が本領を安堵されて立藩。その後は譜代大名が交替で入封した。延享4年(1747年)の土井利信からは土井家が九代続いて廃藩置県へ。【出典

# 刈谷藩士: 

■ 清洲藩(きよすはん)

・ 尾張国。清洲城。東条松平家。親藩。62万石。関ヶ原の合戦後に徳川家康の子の松平忠吉が立藩。弟の徳川義直が名古屋に転じて廃藩。【出典

■ 挙母藩(ころもはん): 愛知県豊田市・旧挙母町

・ 「挙母」の地名

・ 内藤家2万石・譜代大名

・ 1749年に安中から内藤家が入封。

# 三河国。挙母城。内藤家譜代大名。2万石。慶長9年に立藩。控間:帝鑑間格:城主位階:従五位下。上屋敷:港区。慶長9年に、三宅康貞が入封して立藩した。その後、本多家を経て寛延2年(1749年)に内藤政苗が上野国安中から入封。内藤家が七代続いて廃藩置県へ。【出典

# 挙母藩士: 小塚家

■ 作手藩(さくではん)

・ 三河国奥平松平家譜代大名。1万7000石。慶長7年に松平忠明が大名になって立藩したが、伊勢国亀山転封になって廃藩。【出典

■ 重原藩(しげはらはん)

・ 三河国。重原陣屋。板倉家譜代大名。2万8000石。明治元年に福島藩主の板倉勝達が、飛び地の重原に藩庁を移して立藩した。【出典

■ 新城藩(しんしろはん)

・ 三河国。新城城。水野家譜代大名。1万3000石。慶長11年に水野分長が尾張国緒川から入封。子の元綱が上野国安中転封となって廃藩。【出典

■ 田原藩(たわらはん): 愛知県

■ 西尾藩(にしおはん): 愛知県西尾市

・ 「西尾」の地名

・ 愛知県西尾市

・ 大給松平家6万石(譜代大名

・ 大給松平家。八代将軍吉宗の側近の松平乗邑(のりさと)が出たが、老中を3人出した名門

# 三河国。西尾城。大給松平家譜代大名。6万石。慶長6年に立藩。控間:帝鑑間格:城主位階:従四位下。上屋敷:中央区丸の内。慶長6年に、本多康俊が入封して立藩。その後は、譜代大名が入封し、明和元年の大給松平乗佑からは松平家が続いて廃藩置県へ。【出典

# 西尾藩士: 

■ 西大平(にしおおひら)藩(三河国・愛知県岡崎市

■ 西端藩(にしばたはん): 愛知県碧南市

・ 「西端」の地名。

・ 本多家1万石・譜代大名・陣屋

・ 1864年に、9千石の旗本の本多忠寛が江戸警備の功績で大名となった。

# 三河国。西端陣屋。本多家譜代大名。1万500石。元治元年(1864年)に立藩。控間:菊間格:無城位階:従五位下元和2年に、膳所藩主の本多康俊の子の忠相が1000石を分知されて、十代忠寛が高直しによって大名になって立藩。【出典
※ 1000石が高直しで1万石?

# 西端藩士: 

■ 半原藩(はんばらはん)

・ 三河国。半原陣屋。安部家譜代大名。2万石。明治元年の戊辰戦争後に、武蔵国岡部藩主の安部信発が藩庁を三河国の半原に移して立藩。【出典

■ 深溝藩(ふこうぞはん)

・ 三河国。深溝陣屋。板倉家譜代大名。1万5000石。関ヶ原の合戦の後に、深溝松平忠利が立藩。寛永元年に、板倉勝重の次男の重昌が入封。【出典

■ 三河中島藩(みかわなかじまはん)

・ 三河国。中島陣屋。板倉家譜代大名。1万石。寛永16年に板倉重昌の戦死後に、家督を継いだ子の重矩が入封した。【出典

■ 三河水野藩(みかわみずのはん)

・ 三河国水野家譜代大名。1万石。関ヶ原の合戦の後に、水野勝成の弟の忠胤が立藩したが、刃傷事件によって廃藩。【出典

■ 吉田藩(よしだはん): 愛知県豊橋市

・ 「吉田」の地名。

・ 大河内家7万石・譜代大名

・ 1749年に浜松より大河内家が入封した。

三河国三河国。吉田城。大河内松平家譜代大名。7万石。慶長6年に立藩。控間:雁間格:城主位階:従四位下。上屋敷:千代田区丸の内竹谷松平家清が入封して立藩。寛延2年の大河内松平信復からは松平家が七代続いた。明治2年に豊橋藩と改称した。【出典

# 吉田藩士: 


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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