「鴨方」の地名の由来
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■ 鴨方(かもがた): 岡山県浅口市鴨方町

・ 里見川流域に位置し、石井山の南東麓に集落を形成する。地名の由来は、石井山の東方尾根を加茂山、または鴨山といい、遠望すると鴨が羽を大きく東西に広げた形に見えることから名付けられたという。また昔、海であった頃多くの鴨が降りた潟なので鴨潟、あるいは京都の加茂の明神を勧請したので加茂方となったともいう。鴨方地域から東方の里庄町占見(占見郷比定地)にかけては、かなり顕著で広範囲な条里制地割遺構が残存している。またその地割は、北方の鴨方町本庄地域あるいは占見地域の南方の里庄町佐方地域まで広がっており、この地方の開発の早さと生産力の高さがうかがえる。鴨山城は南北朝期細川義春が築城したと伝え、応永年間備中国守護職細川満国が初代城主となり勢力を誇った。その後8代にわたり細川氏の城主が続いた。細川元通は慶長5年関ケ原の戦に毛利方に従い、敗北したのち長門国川棚村に移住したため、鴨山城も廃城となった。もと加茂大明神と称していた鴨神社、西山宗久の開基と伝える曹洞宗長川寺や鴨方藩の陣屋跡がある。【出典

・ 鴨方村: 江戸時代から明治時代中頃にかけて備中国浅口郡にあった村名。当初は毛利氏の支配地だったが、慶長5年には幕府領、寛永9年には岡山藩領、寛文12年からは鴨方藩領。鴨方藩主の池田氏の本邸は岡山の天神山にあり、当地には陣屋が置かれた。鴨方藩は岡山藩の支藩であったため本藩との間を結ぶ鴨方往来と呼ばれる街道が設けられ、岡山城下の栄町を出発点として庭瀬・倉敷・西阿知・船尾・下竹を経て当地に入った。【出典

・ 岡山県浅口市鴨方町。「かは(川)」+「も(面)」+「かた(方)」で「川のそばにあるところ」という地名。【出典

・ 鴨方駅(かもかたえき): 岡山県浅口市鴨方町六条院中。JR西日本・山陽本線。町の一角を占める形が鴨に似ているとの説、京都の賀茂神社を勧請したという説、鴨の降り立つ潟などの説がある。【出典

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