「日置」の地名
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「日置」の名字の由来 職業部
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■ 日置部(ひおきべ): 「ひきべ」「へきべ」ともいう。一説には太陽祭祀に従事する者で、本拠は大和国葛上郡日置郷と言われる。

■ 日置(ひおき): 島根県出雲市塩治(えんや)町付近
・ 出雲国風土記によると、「日置(ひおき)の地名は、欽明天皇のときに日置の伴部らがここに派遣されてきたことから起こった。かれらは、ここにとどまってこの地を支配した。」
・ 日置部は、6世紀初めから半ばにかけての朝廷の祭官制の整備のなかでおかれた。日数を計算して、暦をつくることを「日を置く」という。日置部はまつりを行うのに良い吉日を調べる職務を行った。
出典


■ 日置(ひおき): 富山県中新川郡立山町日置。由来は古代に日置部に属する部民がこの地にいたことによるか。村内に日置神社があり、「延喜式」神名帳登載社を主張し、弓庄日中村日置神社と論社となっている。【出典

■ 日置(ひおき): 愛知県名古屋市中村区西日置。地名は朝廷で大嘗会を開催するごとにおいた日置(へき)部に由来するものか。「へき」は「ひきい」で、すなわち低地の意とする説もある。のろしを上げる場所であったことから火置といい、それが日置となったとも、日置神社から付けられたともいう。【出典

■ 日置(ひおき): 三重県津市一志町日置。「ひへき」「へき」とも称し、比於木・幣岐(へき)・幣木(へき)とも書く。地名は「ひおき」がもとでのちに「へき」と略称されたとする説とその逆の説の2説がある。地名の由来は不詳だが、語源は火置で、火を守るべき日置部の所在したことにちなむか。【出典

■ 日置(ひおき): 兵庫県豊岡市日高町日置。古くは「へき」と称した。 地名は、古代日置部の住地にちなむ。【出典

■ 日置(ひおき): 熊本県八代市日置町(ひおきまち)
・ 「へき」とも称した。水無川(日置川)中流右岸に位置する。地名については、浄火を常置する地の意で、神事と関連する地名ともいうが未詳。【出典

■ 日置(ひおき): 宮崎県児湯郡新富町日置(ひおき)
・ 地元では「へき」とも呼ぶ。「日向地誌」でも「へき」と訓む。また古くは倍木(へき)とも書いた。【出典

■ 日置(ひき): 和歌山県西牟婁郡白浜町日置。「へき」ともいった。古代に日置部が居住したとの説もあるが未詳。【出典
・ 紀伊日置駅(きいひきえき): 和歌山県西牟婁郡白浜町矢田。JR西日本・紀勢本線。日置はヒキともヘキとも読む。古代の役職のひとつに「日置部」があり、各地に分布する日置の地名は、この人たちの居住地と言われる。しかし、日置部の職掌については定説がない。【出典

■ 日置川(ひきがわ): 和歌山県西牟婁郡日置川町(現白浜町)。昭和31年に合併時の新命名。河川名に因む。日置は集落名。ヒ(水路)・キ(接尾語)で、「川のある所」のことか。【出典

■ 日置荘(ひきしょう): 大阪府堺市東区日置荘。「ひきのしょう」「へきのしょう」ともいった。大和川南岸の高燥地、西除川中流西方に位置する。「新撰姓氏録和泉国未定雑姓に「日置部 天櫛玉命男天櫛耳命之後」と見え、地名は日置氏の居住地であったことにちなむと思われる。【出典
・ 日置荘の地名は、古代、太陽神の祭祀をもって大和政権に奉仕していたといわれる、「日置部(ひきべ)」集団の居住地であり、また、中世には興福寺の荘園であった「日置荘」がおかれたことに由来する。【堺市のサイトより】

■ 日置(へき): 京都府福知山市夜久野町日置(へき)。地名の由来は、南面した山麓に立地することによるとも、日は戸、置は記で、戸数を調査し記すの意とも、日ごと祭祀を行う日祀の料田があったことによるともいう。【出典

■ 日置(へき): 山口県長門市日置。地名の由来は、四方を山に囲まれて日を置いたように暖かなことによるとする説もあるが、古代の豪族日置氏、あるいはその部民である日置部が居住したことによると考えられる。【出典】 
・ 日置(へき): 山口県大津郡日置町(現長門市)。古代の倭名抄に見える長門国大津郡日置郷。日置郡に因む。または、ヘキはヘギ(剥)に通じ、「崩壊地形」をいったものか。【出典

■ 日置(へき): 熊本県山鹿市方保田日置(へき)

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