静岡県内の「戸塚」の名字の詳細
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 静岡県の名字の特徴
スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 県内109位: 戸塚(とつか)

# 静岡県内では、約80%は西部に見られる。中でも、掛川市、大須賀町、浅羽町では3〜8位。【出典

# 遠江国の戸塚氏は、清和源氏の出で源義家の子の横地太郎長重の子の勝間田平三郎成長が榛原郡勝間田村(榛原町)に住んで勝間田氏を称し、その子の正重が戸塚七郎(磐田郡南部)を領して戸塚七郎を称したのが祖という。正重の後裔の長頼は武田氏に属し、その子の頼重は川中島の戦いで負傷し、家督を弟の頼正に譲り仁田村(榛原町)に転じて荘官となって、頼正の子の正頼は上針戸の戸塚氏の祖となった。頼重の五代孫の戸輔光利は元禄二年に、医学を学んで帰郷し、これより代々医業を継いで、光利の長男の戸輔国治は仁田村で医業を継いで、次男の泰治正治は掛川に出て医業をなし、掛川戸塚氏の祖の初代隆珀となった。【出典

# 遠江国の戸塚氏について、寛政譜では清和源氏為義流で遠江国戸塚村に住んで戸塚氏を称し、戸塚五郎大夫忠春は足利将軍義晴に仕え、のちに遠江国に帰り大森城に住んだ。その子の四郎左衛門忠家は初め今川義元に属し、後に徳川家康に仕え、弟の心翁は江戸牛込の天竜寺の住職となって、その妹ははじめ母方の西郷義勝に嫁いだが、義勝の討ち死に後、徳川家康に仕えて西郷局(宝台院)を称し、二代将軍秀忠と薩摩守忠吉の生母になったとある。【出典】 

都道府県毎の名字の特徴 名字の様々な区分
難読名字 難読地名・珍地名
地名と災害 名字の博物館
名字と地名・都道府県編 民俗学の広場内の検索

■ このサイトで使用している「名字の順位」「全国の概算数」「都道府県毎の順位」などについてはこちらを御覧下さい。詳細】 

統計表示