遠藤家
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■ 遠藤家(えんどうけ): 「遠藤」の名字の由来 

# 遠藤家(東一族): 家紋「亀甲に唐花紋

・ 桓武平氏千葉常胤の六男の胤頼が下総国東庄(とうしょう)を領して東(とう)氏を称した。承久の乱の後に美濃国山田荘の地頭となって転じた。12代の胤好の跡は一族の盛数がついで、実家の遠藤姓を称した。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】 

# 桓武平氏千葉氏の一族で下総国の東(とう)氏が、承久の乱の功により郡上の地頭となった。遠藤慶隆は斎藤氏に仕え、後に秀吉に下ったが、美濃国加茂郡小原に転じた。関ヶ原の合戦では東軍に属し、江戸時代には郡上に復した。五代目に遠藤家は断絶したが、大垣新田藩戸田家の養子とした上で、五代将軍徳川綱吉の側室のお伝の方の妹の子である白須胤親が名跡を嗣いで1万石をあたえられ、元禄11年に近江国野洲郡三上に転封となった。明治維新後には「東」に復姓した。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】

# 遠藤家(近江国三上藩
・ 遠藤家は摂津国から尾張国に転じて織田信長に仕えた。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、美濃国郡上藩主。後に近江国三上藩1万石へ。明治時代には子爵。【譜代大名126家「勝ち組」の出世競争 榎本秋 晋遊舎新書】

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