立ち葵紋
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■ 立ち葵紋(たちあおいもん)

# 本多立ち葵紋(ほんだたちあおいもん): 徳川家の重臣の本多家の家紋。一本の木のように葵の葉を三本立たせ、右の葉を軸から離し、周囲を丸で囲った紋様。【出典

# 本多立ち葵紋: 三本が左と右に分かれ、二本と一本に分かれている。京都の賀茂神社の神紋は葉が二枚で二葉葵紋という。神官本多家はこれを家紋とした。その際に葉を三枚にして意匠のバランスをとったが二葉の原型を残すために、二本と一本に分けた。出典

# 立ち葵紋: 藤原北家兼通流の本多家清川氏流の本多家、清和源氏平井家、清和源氏の山田家出典

# 右離れ立ち葵紋: 藤原北家兼通流の藤田家出典

# 本多立ち葵紋の謎: 葵の紋と言えば、徳川将軍家の「三つ葉葵紋」が有名。そう、「控えおろう。この紋所が目に入らぬか。」で有名な水戸黄門の印籠についているやつですね。徳川家康が賀茂神社の氏子だったので「葵紋」を家紋としてから、「葵紋」は他家の使用を禁じた。しかし、以前から「葵紋」を使用していた、本多家や善光寺などは使用を押し通したらしい。
そもそも、京都の賀茂神社の裏山の神山に生えていた霊草が「葵」で、この草で社(やしろ)を祀り、神の降臨を請うのが京都の葵祭。賀茂神社の神紋は葉が二枚で「二葉葵」という。神官本多家はこれん家紋としたが、その際に葉を三枚にして意匠のバランスをとった。そして、原型の二葉を残すために、左と右で二枚と一枚(一枚と二枚)に分けた。そしてできたのが「本多立ち葵紋」。本多家の流れによって「左離れ」「右離れ」に違いがあるか否か?それが疑問である。

# 左離れ立ち葵紋: 清和源氏頼光流の菅原家出典

# 本多家藤田家善光寺

立ち葵紋  立ち葵紋
丸に立ち葵紋  丸に立ち葵紋
水に立ち葵紋  水に立ち葵紋
立ち葵紋  右離れ立ち葵紋: 
左離れ立ち葵紋  左離れ立ち葵紋(ひだりはなれたちあおいもん): 一本の木のように葵の葉を三枚立たせ、左の葉を軸から離したもの。【出典】 
丸に右離れ立ち葵紋  丸に右離れ立ち葵紋: 本田家
丸に左離れ立ち葵紋  丸に左離れ立ち葵紋
   中輪に立ち葵紋(ちゅうわにたちあおいもん): 立ち葵紋をやや細い丸で囲った紋様。右の葉のみ軸から離れる。【出典
   丸に花立ち葵紋(まるにはなたちあおいもん): 左右に葵の葉を分け、中央に花と蕾を描き、周囲を丸で囲った紋様。【出典
   

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