「沢瀉」の家紋の解説
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■ 「沢瀉」の家紋の解説: 「沢瀉」の家紋図 

# 沢瀉紋(おもだかもん): 「オモダカ」は水田に生える雑草だが、風雅な見た目から庭先の水鉢で栽培されることもある。文様としても古くから使われ、平安時代後期には公家の久我(こが)氏が車紋として使用した。またオモダカは葉の形が矢尻に似ており、「勝ち草」や「勝軍草」などとも呼ばれ、武家に使用されて、沢瀉威(おもだかおどし)の甲冑が好まれた。沢瀉紋は、豊臣秀吉織田信長の家臣時代に使用した。また、豊臣秀吉が作った天正大判にも刻まれている。そのほかに、秀吉と関係する、豊臣秀次木下家浅野家福島家毛利家水野家などでも使用されている。【出典

# 沢瀉は水田や湿地に自生する野草で、「面高」とも呼ばれ、「面目が立つ」という言葉にも通じた。奈良時代の頃に図案化され、牛車や武具の装飾に使用された。これを使用している家は多く、十大家紋の一つとされる。【出典
・ 大関沢瀉紋、三つ寄せ沢瀉紋、木下沢瀉紋、長門沢瀉紋、水野沢瀉紋。


# 沢瀉(おもだか)紋: 水草の「オモダカ」に由来し、「オモダカ」の葉が武具の楯に似ていたことに由来する。

・ 沢瀉(オモダカ)は水辺に咲くので水野家の代表家紋。オモダカは縁起が良い植物で、武将が用いる。葉の形が盾に似て、勝利のシンボルとなり、「勝ち草」とも言う。出典

# 「オモダカ」は、別名「勝ち草」といい戦勝の縁起を担いだ。

# 沢瀉紋: 葉と花を合わせたものと、葉のみを象ったものがある。主に、尾張国や三河国出身の大名が使用し、中でも水野氏が代表的。水野氏は尾張国知多郡に住んでいたが、この地方に沢瀉が繁茂していたため、これを家紋にした。【出典

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