源頼家
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■ 源頼家(みなもとのよりいえ)【出典

・ 1182−1204年。享年23歳(暗殺)。

・ 出身地: 相模国

・ 家族: 父:源頼朝。母:北条政子

・ 肩書き: 鎌倉幕府の二代将軍

・ 源頼朝が36歳の時の長男。「生まれながらの鎌倉殿」と呼ばれた。頼朝の死後は18歳で鎌倉幕府の二代将軍になった。しかし、北条氏らによる13人の合議制がしかれると、これに反発して外戚の比企氏を重用したり独断専行で将軍の権力強化を図った。その結果、御家人たちの信用を失って、有力御家人の梶原景時が討たれたりした。息子の頼家よりも幕府体制の確立を優先させようとした母の北条政子の判断もあり、頼家は失脚した。頼家が病気になると、その間に比企能員(よしかず)一族が、北条時政によって謀殺された。病状回復後、事情を知って激怒した頼家も、1203年に伊豆国修禅寺に幽閉され、翌年に北条氏の刺客によって暗殺された。


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