北条政子
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 歴史的人物のTop
スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 北条政子(ほうじょうまさこ)【出典】: 「北条」の名字の由来

・ 1157−1225年。享年69歳(病死)。

・ 出身地: 伊豆国

・ 家族: 父:北条時政、夫:源頼朝

・ 北条政子は、源頼朝の存命中は、いい相談相手として頼朝を支えた。しかし、頼朝の死後は出家して、「尼将軍」として自ら決定して、困難な政局を乗り切った。18歳で将軍を継いだ源頼家の未熟さゆえ、御家人の不満が募るのをみると、頼家を退けて修禅寺に幽閉した。さらに、それに反発した比企能員一族を滅ぼした。父の北条時政が後妻と組んで政権奪取を目論んだときにも、父を伊豆に幽閉した。源実朝が殺されて頼朝の直系が途絶えて危機を迎え、1221年に、後鳥羽上皇が倒幕のために挙兵した。これを承久の乱という。朝敵となった、御家人たちを、政子はあつめて、「最後の詞(ことば)」と前置いて大演説を行った。それを聞いた御家人達は、感動して頼朝の恩に報いようと誓ったという。結局幕府側が大勝利して、その後の実権は政子の弟の北条義時がにぎった。


Help】 「苗字」「階位」「幼名」「通称」「諱」「尊称」「号」「氏」「姓」などはこちらをご覧ください。   

統計表示