飯山藩
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■ 飯山藩(長野県飯山市)

・ 「飯山」の地名

・ 本多家2万石・譜代大名

・ 1717年に糸魚川から本多家が入った。 

・ 江戸期の藩名。飯山城を居城として周辺を領有した譜代小藩。慶長8年松平忠輝が北信4郡を領知の時、付庸大名皆川広照が飯山4万石を領して藩の基となる。本格的成立は慶長15年の堀直寄入封からである。本多氏以前の飯山領は、千曲川沿岸、高井・水内(みのち)両郡にわたり4万石前後を領有していたが、本多氏は2万石を与えられた。しかし水害により実質1万石程度しかなく、幕府へ懇願して享保9年に所領替えが許され、千曲川の左岸水内郡に実質3万5000石の地を領有することとなった。以後領内を城下・外様・山内・川辺に分けて支配した。【出典

# 信濃国。飯山城。本多家譜代大名。2万石。慶長8年(1603年)に立藩。控間:帝鑑間格:城主位階:従四位下。上屋敷:千代田区神田錦町。慶長8年に、川中島藩主になった松平忠輝に従っていた皆川広照が4万石で立藩した。享保2年(1717年)に本多助芳が入封すると、本多家10代が廃藩置県まで続いた。【出典

# 善光寺地震による被害

# 飯山藩士: 


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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