新発田藩
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■ 新発田藩(新潟県新発田市)

・ 「新発田」の地名

・ 溝口家10万石・外様。

・ 溝口主膳正

・ 溝口家美濃国から尾張国に移った地侍。

・ 上杉家が会津に転じた後、溝口家が入った。十代藩主の直諒(なおあき)の時代には佐渡の沿岸警備を担当し、日米修好通商条約の締結で新潟が開港されたので、新発田藩は尊皇開国派だった。しかし奥羽列藩同盟に参加した。しかし、新政府軍が新発田藩領の太夫浜に上陸したら、手のひらを返して新政府軍にくみした。 

# 新発田藩士: 石川家 ・ 遠藤家 ・ 加藤家 ・ 神田家 ・ 君家 ・ 窪田家 ・ 坂井家 ・ 桜井家 ・ 里村家 ・ 富樫家 ・ 速水家 ・ 三浦家 ・ 村田家 ・ 山岸家 ・ 山崎家

# 新発田藩(しばたはん): 越後国。新発田城。溝口家。外様大名。10万石。控間:帝鑑間。格:城主格。位階:従四位下。上屋敷:港区新橋。慶長3年(1598年)に、上杉景勝の会津移封の際に溝口秀勝が立藩し、慶長15年には沢海藩を分立。以後、274年にわたって溝口家が十二代が継いで廃藩置県へ。【出典


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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