広島県内の「吉川」の名字の詳細
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■ 吉川(きっかわ)

# 安芸国山県郡の国衆藤原南家入江氏の一族で、名字の由来の地は駿河国有度郡入江荘吉川郷(静岡県静岡市清水区吉川)。景義の子の経義が吉香氏を称したのが祖で、「吉河」「吉川」などとも書かれたが、徐々に「吉川」となった。正治2年(1200年)に、友兼は梶原景時父子の討伐に功を成して、子の朝経が恩賞として梶原景時の旧領だった播磨国福井荘(兵庫県姫路市)の地頭になった。承久の乱の後には、経光は安芸国山県郡大朝荘(広島県山県郡北広島町)の地頭になって、子の経高のときに大朝荘に下向した。南北朝時代には、興経は尼子氏に属し、毛利氏と対峙した。天文16年(1547年)の内訌の際には、毛利元就は当主の興経を隠居させて、自分の二男の元春を養子にやって吉川家を継がせた。その後、天文19年には興経を殺して、以後は吉川家は毛利氏の一門になった。江戸時代には岩国藩主。【出典】  

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