山口県内の諸藩
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■ 岩国藩(いわくにはん): 山口県岩国市

・ 「岩国」の地名。

・ 吉川家6万石・外様

・ 1868年に大名とされた。

・ 毛利元就の次男の元春が、安芸国の吉川(きっかわ)家を嗣いだ。

# 岩国藩士: 朝枝家 ・ 有坂家 ・ 香川家 ・ 今田家 ・ 坂根家 ・ 富永家 ・ 森脇家

# 岩国藩(いわくにはん): 長州藩の支藩。周防国。岩国陣屋。吉川家。外様大名。6万石。位階:従五位下。上屋敷:千代田区日比谷公園。関ヶ原の合戦の後に、毛利家の家老の吉川広家が、出雲富田に入封した。以後、吉川家が続いて幕末へ。明治元年に、十二代の吉川経幹が新政府のはからいで大名になって立藩。【出典

■ 清末藩(きよすえはん): 山口県下関市清末

・ 「清末」の地名。

・ 毛利家1万石・外様

・ 1653年に、長府藩の藩祖である秀元の三男の元知が分与されて立藩。

# 清末藩士: 国島家

# 清末藩(きよすえはん): 長府藩の支藩。清末神社。毛利家。外様大名。1万石。控間:柳間。格:無城。位階:従五位下。上屋敷:港区新橋。【出典

■ 長州(萩)藩(ちょうしゅうはん): 山口県萩市→山口市

■ 長府藩(ちょうふはん): 山口県下関市長府

・ 「長府」の地名。

・ 毛利家5万石・外様

・ 毛利元就の四男の秀元は、毛利輝元の養子になったが、輝元に実子の秀就が生まれたので分家して独立して長府藩を作った。

※ 同様に、豊臣秀吉の跡継ぎとなった秀次、秀吉に実子が生まれた時点で、別家を立てていれば歴史は変わっていたんでしょうねぇ。

# 長府藩士: 三沢家

# 長府藩(ちょうふはん): 長州藩の支藩。長門国。櫛崎陣屋。毛利家。外様大名。5万石。控間:柳間。格:城主格。位階:正三位。上屋敷:港区六本木。関ヶ原の合戦の後に、毛利輝元の従弟にあたる毛利秀元が分知されて櫛崎で立藩したが、一国一城令によって長府陣屋に移転。さらに、文久3年(1863年)には長門勝山に藩庁を移した。【出典

■ 徳山藩(とくやまはん): 山口県周南市徳山

・ 「徳山」の地名。

・ 毛利家4万石・外様。

・ 毛利輝元の次男の就隆の家系。

# 徳山藩士: 金崎家 ・ 四熊家 ・ 奈古屋家

# 徳山藩(とくやまはん): 長州藩の支藩。周防国。徳山陣屋。毛利家。外様大名。4万5000石。控間:柳間。格:城主格。位階:従五位下。上屋敷:港区赤坂。毛利輝元の次男の就隆が下松で立藩し、慶安元年(1648年)に、野上に藩庁をうつした。このとき、野上の地名を徳山に改称したため、徳山藩となった。【出典


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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