山口県内の諸藩
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■ 岩国藩(山口県岩国市)

・ 吉川家6万石・外様

・ 1868年に大名とされた。

・ 毛利元就の次男の元春が、安芸国の吉川(きっかわ)家を嗣いだ。

■ 清末藩(山口県下関市)

・ 毛利家1万石・外様

・ 1653年に、長府藩の藩祖である秀元の三男の元知が分与されて立藩。

■ 長州(萩)藩(山口県萩市→山口市)

・ 毛利家36万9千石・外様

・ 毛利大膳大夫

・ 毛利家は、源頼朝の側近の大江広元の子孫で、相模国毛利荘をルーツとする。のちに、安芸国地頭となった。

・ 毛利輝元: 長州藩の初代藩主。1597年に豊臣政権の五大老の一人となった。関ヶ原の戦いでは西軍の総大将となったが、江戸時代には長州藩35万石に閉じ込められた。

・ 幕末の薩長同盟に際し、高杉晋作は「夷狄の沓(くつ)を頭にのせるとも、薩摩のイモとは絶対に手を結ばない」といった。これは「蛤御門の変」の余波でしょうねぇ。人間、感情は大事。

■ 長府藩(山口県下関市)

・ 毛利家5万石・外様

・ 毛利元就の四男の秀元は、毛利輝元の養子になったが、輝元に実子の秀就が生まれたので分家して独立して長府藩を作った。

※ 同様に、豊臣秀吉の跡継ぎとなった秀次、秀吉に実子が生まれた時点で、別家を立てていれば歴史は変わっていたんでしょうねぇ。

■ 徳山藩(山口県周南市徳山)

・ 毛利家4万石・外様。

・ 毛利輝元の次男の就隆の家系。


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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