「本田」の名字の由来
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu  
スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 本田(ほんだ)

【2022/04/09:改編】

# 124位

# 本田: 125位【知っておきたい家紋と名字 別冊宝島】

# 全国順位:121位【出典

# 代表家紋

# 武蔵七党の丹党、藤原氏桓武平氏などにみられる。

# 「新しい田を意味する新田」に対して「昔からある田(本来の田)」を意味する名字。
※ なお、読み方は同じだが漢字が違い、名字のルーツが同じというものが結構多い。代表的なのは「渡辺」「渡部」などだが、「本多」と「本田」は読みは同じだが、ルーツは異なるのか?。

# 東北地方南部から北陸地方にかけてと九州にまとまってみられ、熊本県では11位、福島県と長崎県で30位前後。【出典

# 発祥の地は全国各地にあるが、現在は九州、特に長崎県から熊本県に多く分布しする。

# 大隅(鹿児島県)発祥の本田氏は桓武平氏の流れ。

# 新潟県の本田家

# 石川県の本田家 

# 鹿児島県の本田家

# ホンダの創始者の本田宗一郎は静岡県浜松市天竜区の出身。俳優の本田博太郎は茨城県水戸市の出身。フジテレビのアナウンサーの本田朋子は愛媛県松山市の出身。サッカーの本田圭佑は大阪府摂津市の出身。

# 本田・本多(ほんだ): 誉田出典

# 新田に対して、もとの田が本田。出典

# 最も古い氏族は、信濃国安曇氏で、古代の大族で、善光寺に金仏を祀ったという信濃国水内郡の本田善光はその子孫で、諏訪地方に広まった。出典

# 武蔵国の本田氏は武蔵国男衾郡本田(埼玉県)をルーツとし、武蔵七党の丹党の出。子孫は後北条氏に従い、後に帰農した。出典

# 薩摩国の本田氏は桓武平氏の平良文の末裔で、島津久光が薩摩国下向したときに随行した。その後は大隅国守護代を務めた。出典

# 播磨国赤松氏肥後国菊池氏などにみられる。出典

# 徳川時代に栄えた本多氏は、もとは本田氏を称した。出自藤原北家で、関白藤原兼通の子の顕忠の末裔という。出典

# 徳川四天王の筆頭の本多平八郎忠勝の系統は、顕忠の十世助秀が豊後国(大分県)本多に転じ、その子の助定が尾張国(愛知県)に転じた。出典

# 尾張国本多家豊臣秀吉に仕えて本多利久が大和国高取城主となった。藤原氏とは別系統で尾張源氏の水野氏の出という。出典

# 代表家紋: 本田立ち葵・丸に本の字紋出典

# 国衆(国人)

# 「田」の漢字の持つ意味

# 「田」のつく名字

# 「本」のつく名字

# 「本田」の地名

都道府県毎の名字の特徴 名字の様々な区分
難読名字 難読地名・珍地名
地名と災害 名字の博物館
名字と地名・都道府県編 民俗学の広場内の検索

■ このサイトで使用している「名字の順位」「全国の概算数」「都道府県毎の順位」などについてはこちらを御覧下さい。詳細】 

統計表示