「仁保」の名字の由来
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■ 仁保(にお)

【2022/12/26:新載】

# 周防国吉敷郡の国人桓武平氏三浦氏の一族で、1197年に仁保荘・恒富保(山口県山口市)の地頭職になった平子重経が祖。室町時代には大内氏被官化し、所領は仁保荘以外にも広がった。1551年の大内氏の滅亡後には毛利氏に仕えたが、その所領は周防国・長門国安芸国で1万6000石に及んだという。関ヶ原の合戦後には佐波郡徳地に転じ、江戸時代には長州藩士となって遠祖の三浦氏に改称した。家禄は800石余。【出典

# 周防国吉敷郡の国衆桓武平氏三浦氏の一族で、建久8年(1197年)に、仁保荘・桓富保(山口市)の地頭になった平子重経が祖。室町時代初期頃から仁保氏を称した。その後、大内氏被官になって、所領は仁保荘以外にも広がった。応仁の乱では、弘有が大内氏に従って功を成した。天文20年(1551年)の大内氏の滅亡後には、隆在は毛利氏に仕えたが、その所領は周防国・長門国安芸国で1万6000石にも及んだ。隆在の跡は、吉川元春の二男の元棟(元氏)が継いだが、元棟はのちに繁沢氏を継いだため、毛利輝元の側近の神田元忠が仁保氏を継いだ。関ヶ原の合戦後には佐波郡徳地に転じ、江戸時代には長州藩士になって、三浦氏に改称した。【出典

# 「仁」のつく名字。 

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