地名のワンポイント
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■ キトラ古墳の「キトラ」とは、方向を表す地名で「鬼門の虎の方向=北東」を意味する。

■ 国名、郡名、郷名(郷は村の集合体で地方行政の単位)
・ 「村」「」「里」「郷」は中国の法律用語由来の言葉。

■ 五世紀から七世紀前半にかけて、王族の直属の家臣の集団と朝廷から与えられた領地を「名代(なしろ)」という。名代には王族が居住する王宮名がつけられた。
・ 忍坂宮(おしさかみや)にいた忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)の領地は「刑部」と呼ばれた。
・ 仁徳天皇の皇子で草香宮(くさかのみや)にいた大草香皇子(おおくさかのみこ)の領地は「日下部」と呼ばれた。

■ 台の「ヤマトコトバ」は「ウテナ」

■ 田んぼの境界線を「クロ」といい、「畔」と書いた。ここに柳の木を植えたのが「畔柳」で、後に「黒柳」と書いた。【名字でわかるあなたのルーツ 森岡浩 小学館】

■ 地図
・ 大化二年(646年)に地方の支配をすすめるために農地の地図を作れとの命令が朝廷から出ている。
・ 奈良時代に班田図(はんでんず)と呼ばれた。
・ それとは別に貴族や寺院が新しく開いた田地を記録した「墾田図(こんでんず)」や「開田図(かいでんず)」も作られた。
・ 拾芥抄の行基図は平安時代に作られた。
・ 江戸幕府は1605年に諸大名に石高や租税の調査と国絵図の作製を命じた。1822年に伊能図が完成(大日本沿海輿地全図)。
・ 近代図: 明治4年に工部省の測量司が初めて三角測量を行った。

■ 地名こそりっぱな神代文字である。【出典

■ 地名で一番多いのは?【詳細
・  丹羽基二氏の調査によると、日本の郡や市町村名で一番多いのは中村で236例。

■ 地名の踏襲性:  例えば、中村の西側にあった西原を開墾して田圃にしたからといって、中村新田といった新しい地名をつけるわけではなく、西原という地名を踏襲する。

■ 地名は、基本的にはその立地の自然を描写して名付けられることが多い。そして、語源がすぐにはわからない地名を考える場合には、その場所の地形を最初に観察し、そして、地形から妥当な解釈が得られない場合には、発音の共通する文化事象の用語が当てはまらないか考える。
・ いおう: 「硫黄」「医王」
・ かしま: 「鹿島(神島)」
【日本地名学を学ぶ人のために 吉田金彦・糸井通浩 世界思想社】

■ 地名は、「過去にその地域で使われてきた地名群を調査し、そのどれに該当する地域の範囲に整合するか、比較して判断するだけでいい。」【こうして新地名は誕生した! 楠原佑介 ベスト新書】
※ 出羽国最上郡と村山郡の入れ替えはどうするの?入れ替えも、また歴史。 

■ 地名は過去の文化発達の跡をよく伝えている貴重な記録である。【出典

■ 地名は生長する:  柳田國男の「地名の研究」によると、「最初は一地点または一地形に付与した名前を、これを包含している広い区域にも採用していく風習がある。」とのことである。その代表が「埼玉」。

■ 地名は文字(漢字)で伝承されるのではなく、「音(おん)」で伝承される。従って、「漢字の字面」にあまりこだわらないこと。そして、伝承の過程で「話しやすい(発音しやすい)」ように転訛することも多い。たとえば、京都の清水寺付近の三年坂も、当初は「産寧坂(さんねいざか)」であったが、「さんねい」は発音しにくいので、発音しやすい「さんねん」に転訛した。

■ 日本の田舎では、地名の70%くらいは、地形方言によっている名である。【出典

■ バイガント曰く、「地名は地理的事情の、広い意味での芸術的に圧縮されたもの」【出典
※ バイガント: 誰だろ?

■ 畑・畠地名: 水田にしにくいところは「畑・畠」にした。「畠」は「白田」とも言った。【名字でわかるあなたのルーツ 森岡浩 小学館】

■ 道が交差するところが「辻」で、江戸時代には農民の集落を「村」、商人の集落を「町」、漁民の集落を「漁村(浦)」とよばれ、「村」は「郷」とも言った。【名字でわかるあなたのルーツ 森岡浩 小学館】

■ 名字のルーツの地名にはその名字は無いことが多い。
(1) 同地名はその土地を離れたときに初めて苗字として名乗る。
(2) 離れるといっても、その距離は昔は20Kmくらい。
(3) 離村する原因は、一族、一村の人口が増えるためで、いわゆる口減らし。

■ ルツィク曰く、「地名は人間を中心として、そのまわりに存在する立体的な環境の全体に名づけられ、しかも今という時間によって規定された、すなわち四次元の世界の特殊の個性的実在として、つよく環境に結合しているものである」【出典
※ ルツィク: 誰だろ?

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