天正大地震
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■ 天正大地震

・ 天正13年11月29日(1585年1月18日) 震源地岐阜県揖斐郡揖斐川町 最大震度6 M7.8 死者数千人。

・ 当時、豊臣秀吉近江国坂本に滞在していた。ルイス・フロイスの報告によると、「秀吉は全ての予定をキャンセルして、馬を何度も乗り換え、もっとも安全であるとみなしていた大阪城に戻った。」

・ 明智光秀が築いた坂本の城と町は地盤が弱かった。同時に対岸の長浜城も大きな被害を受けた。この地も埋め立て地が多く液状化があったものと思われる。当時の長浜城主は山内一豊で妻の千代との間に生まれた一人娘は崩壊した御殿の下敷きで死亡。

・ その地震を光秀の怨念と感じたのか、秀吉はその後坂本に行くことは無く、翌年に聚楽第の建設を開始した。

・ 当時、飛騨国の帰雲(かえりくも)城(岐阜県大野郡白川村)の城主だった内ヶ島氏理は天正大地震で、城の裏手の山が崩れ、氏理を含め城内と城下にいた人たち全てが死亡した。城内には家臣や家族約500人、城下には約300戸の家があった。

・ 天正地震がおきた当日、1586年1月18日は寒かった。岐阜県大垣では「深雪、大地震」とある。愛知県の岡崎城でも、「雪降り。大なへ(大地震)」。富山県高岡市の木舟城でも、「大地震にて木舟の城破壊。大雪・大水、城中に押し入る」とある。

# 天正地震

・ 天正13年(1585年)11月29日の夜。

・ 岐阜県から三重県の3つの断層が動いた地震で、推定M8.0の直下型地震。

・ 若狭湾や伊勢湾に津波の記録がある。

・ 近江国長浜城主だった山内一豊は一人娘の与禰(よね)を失った。長浜は地震による地割れで家屋がのみこまれ、火災が生じた。長浜城もほぼ全壊した。美濃国の大垣城は焼失、郡上八幡では一瞬で集落が消えた。

【今こそ知っておきたい「災害の日本史」 白鳳地震から東日本大震災まで 岳真也 PHP文庫】  

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