「稲妻」の家紋の解説 | |
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■ 「稲妻」の家紋の解説: 「稲妻」の家紋図
# 稲妻紋(いなづまもん): 稲光は稲の豊作をもたらすと信じられてきた。文様としての種類は豊富だが、家紋としての使用は少ない。【出典】
・ 稲妻菱紋(山科家)。【出典】
# 稲妻紋【出典】
・ 稲妻は古代から神秘的な自然現象として、人々の関心も強く、さまざまな文様が作られ、装飾などに使用された。四角形の渦巻きが基本形で、角の数を違えたり、数個を組み合わせるなどの種類がある。大分県に多く見られる。
・ 角立て稲妻紋、稲妻菱紋、三つ稲妻菱紋、平稲妻紋、三階稲妻菱紋、稲光四つ稲妻紋。
# 稲妻紋(いなづまもん): 雲間に光る稲妻をデザイン化したもの。稲光ともいう。奈良・平安時代の伝承によると、稲の穂は稲光によって実るとか。この紋は、光を一本の線で示し、それを内側から外側に、次々と曲折させて、菱形や四角形、また三角形にと、ひと筆書きふうに表現したものだ。三角の稲妻を三鱗紋のように三つ置いたり、菱形稲妻を三階菱の形に三つ配するなど、他の紋に似せて、さまざまな紋様にしている。備前国岡山城主の伊東家の紋は、織田信長から武功によって賜ったものという。伊東家、中島家、御手洗家、伊勢家、武田家などに見られる。【出典】
# 伊東家などに見られる。
# 稲妻紋: 古代には神の怒りとして恐れられたが、中世になって農耕の恵みとして崇められるようになった。家紋として使用されるのは江戸時代で、伊勢家や武田家が使用した。岡山藩の伊東家は織田信長から、この紋を与えられた。【出典】
【家紋の図柄】