「蜻蛉」の家紋の解説
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■ 「蜻蛉」の家紋の解説: 「蜻蛉」の家紋図

# 武蔵七党金子家出典

# 蜻蛉紋【出典
・ 丸に対い蜻蛉紋(まるにむかいとんぼもん): 蜻蛉は前に進み続けることから「勝ち虫」と呼ばれ、武士が好んで家紋にした。

# トンボは古くはアキツと呼ばれ、神武天皇はトンボの飛ぶ日本の豊かな稲作の国土を「秋津嶋(あきつしま)」と呼んだ。雄略天皇の腕を刺した虻をトンボがくわえていくなど、トンボの攻撃性を示す故事もある。また、トンボは前にしか進まず、退くことがないことから、「勝ち虫」とも言われ、武家に愛された。兜の前立てや甲冑など様々な武具に意匠化されている。武蔵七党の村山党の金子氏が「対(むか)い蜻蛉紋」や「三つ蜻蛉紋」を使用した。また、香川県を中心とした筒井氏に多く見られ、岐阜県の翠氏、他に近岡氏長沼氏中村氏などで見られる。【出典

# 蜻蛉紋: 羽根を大きく広げ、前に向かって飛び、後退しない堂々とした姿が「勝ち虫」と言われて武士に人気があった家紋。武蔵七党の児玉党の金子家に見られる。【出典

# 三つ蜻蛉紋(みつとんぼもん): 三匹の蜻蛉を、頭を向き合わせて寄せたもの。【出典

# 中村家金子家長沼家などに見られる。  

家紋の図柄

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